Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
さて、トイロのココロ、原稿どうしようか?他の作家の連載を読んでいると、う~んなんか微妙に関心、関連ある内容、気になる事がいっぱいある。
「~~さん、トイロのココロ読んだよ!」と個人的に連絡すればいいのだけど、それをあえて公開の場でするのが、今風?(笑)と思って、今回私の原稿は、何人かの最近のトイロのココロへの反応!を書く事にした。
ちょうど「COLORS」発売の対談で、横川理彦氏との対話が掲載されたが、今回は、記事に対して「勝手に返信」あるいは、ただの「ツッコミ」「話題パクって自分も書いてみる」。
そうか、ゲイリーのスタジオ初仕事はあのモダンチョキチョキズのアルバムだったのか。
僕も同じアルバムで依頼されて、一曲アレンジをした。「オーチェルシー」という曲で、デモテープはアレンジが全く施されていない歌っただけのものだったけど、メロディや歌にパワーを感じた。楽しくてチープで古いシンセミュージックにしようと、かなりペリ-&キングスレイに寄せたサウンドになった。
サウンドは1つ1つサンプリングしたSEを組み合わせてリズムを作る。今なら割と簡単に大量のサンプルを並べて鳴らせるが、当時は1つ1つ、ハードウェアのサンプラーに取り込んで、鍵盤に割り当てていくのでかなり大変だったが、それでもテープを使って制作していた時代から比べれば全く苦労のうちに入らないな。楽しい制作作業だった。
私も中学時代からクラブ活動は吹奏楽だった。中学ではトロンボーンを担当。高校に入ったら木管楽器をやりたかったのだけど、残念ながら木管は女子で既に満席。かといって金管楽器はもうやめたいと思っていて結局、パーカッションをやる事になった。高校一年の頃は一年間、毎日、シンバルを叩いていた記憶がある。もちろんスティックを持って練習もしていたけど、ほとんどは机を叩いていた。笑
サンプリングやDAWのおかげで、今では指揮者の様に様々な楽器の音を再現して音楽を作って仕事にしているのだけど、あの大編成での合奏の楽しさを味わえないまま何十年もたってしまった。どこかのアマチュア楽団に所属しない限り、もう死ぬまであの興奮は味わえないのだろうか。
当時はユーフォニウムの音が一番、やわらかくて好きだった。大人になってからはフリューゲルホルンの音に魅了され、再び金管楽器をやってみようかと思ったが、谷口と違い購入には至らなかった。
YOUTUBEで「フリューゲルホルン」を検索すると自分が知っているアーティストの演奏としてはこれが最初に出てきたので、チャックマンジョーネを!
80~90年代、ほとんどの収入は機材に費やしていた。とにかくビンテージシンセ買いまくって、エフェクターを買いまくって、部屋は要塞か、宇宙船の操縦席かの様に機材に囲まれていたが、今となってはパソコン一台と入力鍵盤とスピーカーだけで出来てしまう。ほとんどの機材は、大阪移住の時に手放したが、それでも手放す事ができなかったのが、私もMU-TRONのフェイザー。バイフェイズを含め何台か持っていた。あとはMOOGのグラフィックイコライザー、パラメトリックイコライザー。これも最大5台持っていたと思う。つい最近まで所有していたけど、どんどん使用する機会が減って、手狭な部屋の押し入れとの兼ね合いで、遂に手放してしまった(機材を集めた話、手放した話はいずれここで記事にしたいと思っている)。
手放した理由にソフトウェアのフェイザーで優秀なものが増えてきた点がある。MU-TRONのフェイザーのソフトウェア化もされているし、つい最近、遂にMOOGのラックエフェクターのシリーズもまとめてソフトウェア化された。グライコ、パライコの他、ハードウェアでは手に入れる事ができなかったフェイザー、リングモジュレーター、ボコーダーなどもまとめて安価で手に入れる事ができた(再現性については今後に期待したい)。
デレク・ベイリー大好きです。がそこに到達するまでに、私の場合、まずプログレを聞いていた事があって、ヴァージンレコードから「哀しみのヨーロッパ/スラップハッピー&ヘンリーカウ」が日本で発売され、当時シンセを多用したプログレをメインに聴いていた事もあって「史上最悪のハズレだ~」「今まで買ったレコードの中で最低だ!」という第一印象。が、その第一印象も一ヶ月程度で崩れ、ドハマリし、結局ここからヘンリーカウ、アートベアーズ、そしてフレッド・フリスのギターソロの来日公演を経て、デレク・ベイリーにたどりつきました。当時はまだ子供で、真似事したりしたなあ。笑
プログレからフュージョン、AORの方に傾いたり、プログレからテクノ、ジャーマンの方に傾いたり、プログレからミニマル、現代音楽に傾いたり、プログレからレコメン、フリーへ傾いたり、結局境界線はないけれど、振れ幅も広いものだな。
トイロ・ミュージック設立の時、まず最初に思い浮かべたのが「トイロ」って「トロイ」に似てるなあ…だった。今から29年前、加藤賢崇のプロデュースでコンピレーションアルバム「トロイの木馬」に参加させてもらった。実はこの収録曲で初めてリットーミュージックのキーボードマガジンの取材を受けたり、本格的にソロ活動を始めるきっかけにもなった。そして今回、トイロ・ミュージックのコンピレーションCDで、「トロイの木馬」でお世話になった彼とまた一緒に曲が収録される事になったのが、とてもうれしい。けんそ~!私のアルバムの紹介もありがとう。
マネージャーの三宅治子は彼女が女子高生だった頃から知っている。加藤賢崇同様、もう35年以上の知り合いになる。実は彼女のこの貝の趣味は、私にも大きく関係する事となった。貝の収集の趣味がきっかけで音楽関係の方と知り合いになり、そのきっかけでいまだに、私が仕事をやらせてもらっているのだ。日々、我々作家の為に活躍してくれている、今やなくてはならないマネージャーだ。感謝。