Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
8月28日に起きた過去の出来事を振り返り、それを通じて感じたことや体験したことを綴ります。
『バイオリンの日』
19世紀末の1880年8月28日に国産初のバイオリン(和名:提琴)が完成したということで「バイオリンの日」となったそうです。
中学生の頃、私は工作部に所属していました。工作部ではバイオリンの製作を選択することができました。もちろん素人が作るわけですから、音が鳴れば良いというレベルです。しかしながら、パーツ類に関して言えば、それぞれ然るべき木材(板)を使い、ひとつひとつ手作りで作り上げるというものでした。
工程の例を幾つか言いますと、一枚の板から町工場で使うような本格的な電動糸鋸で、指を飛ばさないよう慎重にバイオリンの形に切り出す。また独特な膨らみを出すために、割ったガラスの破片から程よい形のものを選び、それを使って少しづつ削っていって成形する。あるいは側面に使う薄い板を水で湿らせ、少しずつ手で曲げ、器具で固定しながら優美な曲線を作っていきました。しかし単純作業中は隣の友人とついつい談笑してしまうわけで。当然ですが、その度に担当の老教師に怒鳴られていました。稼働中の機械音はとても大きく、事故があってはならないので、先生は生徒の耳に届くように、自然と大きな声で話すようになったのでしょう。きっと近所の子供たちにも臆せずに叱っていそうな、いかにも昭和っぽい方でした。
兎にも角にも私は不真面目な生徒だったので、当然バイオリンを完成させる事は出来ませんでした。もっともニスを塗り弦を張るところまでいく生徒のほうが稀で、本当に完成させる奴がいるのかと驚嘆する連中ばかりでしたが。
『ゲーテの生誕日』
「もっと光を!」で有名なゲーテは18世紀中盤の1749年8月28日に生まれました。ゲーテは古典主義からロマン主義の発展に貢献した人物でした。しかし自身の芸術観は一貫していなかったらしく、ロマン主義に傾倒したり古典主義に回帰したりと紆余曲折していたようです。影響を受けてロマン主義に染まっていった芸術家たちは、そんな揺れ動くゲーテをどんな気持ちで見守っていたのでしょうか。
18世紀から19世紀、あるいは20世紀初頭まで続いたロマン主義は、フランス革命や産業革命によって急速に進んだ近代化の中、一方で失われつつあった自然への憧れや、個人的感情の表現、夜や空に見える月が綺麗だなとか、そういったロマンティックな雰囲気を重視する芸術運動でした。
私はロマン派の感傷的で甘美な表現の音楽よりも、その前後の時代に作曲された作品を好む傾向があります。おそらく、音と音の間に込められた繊細な表現を持つ音楽よりも、音そのものの響きや構造に魅力を感じるからでしょう。
ところで、ドイツ語を日本語で表記するのはなかなか難しいものです。現在定着している『ゲーテ』の表記ですが、かつては『ゴエーテ』『ゲーテェ』『ゲョエテ』『ギョーツ』などの表記も用いられていたそうです。また漢字表記では『歌徳』や『哥德(かどく)』『葛蒂(かってい)』などがあり、これらを含め29種類以上の表記が存在しているのだそう。全て並べたら早口言葉になりそうですね。
『ピアノ騒音殺人事件』
1974年8月28日に神奈川県平塚市の県営横内団地で起きた事件は、多くのことを考えさせられます。精神的に不安定だった当時46歳の男が、階下のピアノの音や生活音を「騒音」と感じ、ストレスを抱え込んだ末、犯行に及んでしまったのだと。
この事件は、加害者の抱えた問題(犯人の被害者意識)、そして「音」に対する認識など、複数の要因が複雑に絡み合って発生したと考えられます。
近隣の人々に不快感を与えうる様々な問題、特に「音」に関する課題は、私たちが真摯に向き合うべき重要な事柄です。楽器の音に限らず、発している側は気にならない音でも、それが他人にとっては「騒音」と受け取られる可能性が十分にあり得るからです。
この事件をきっかけにメーカーあるいは民間の相談窓口が開設されたり、民法上でも「騒音」に関して法的な対策がとられるようになったそうです。この事件は音に関わる仕事をしている者として、とても考えさせられる事件です。
『道元の命日』
曹洞宗の開祖である道元は建長五年(1253年)54歳で亡くなったそうです。
数十年前のとある夏の暑い日、私はごく親しい知人の葬儀に参列していました。他の参列者達は思い思いひそひそと耳打ちしあっていたり、すすり泣いていたり、黙って椅子に座っていました。私もこの静寂でしめやかな空気に満たされた堂の中で、しばらくこころを空にして過ごしていました。
すると突如後ろから、BPM42位のゆっくりとしたテンポで「チーン、ドン、ピシャーン、休符」というワンセットを繰り返す打楽器が響き渡り、その音を鳴らしている僧侶三人が、ゆっくりと堂に入ってきました。音の正体は「チン」は引磐(いんきん)という小さな鐘、「ドン」は手持ち太鼓、「ピシャーン」は鐃祓(にょうはち)というくぐもった音がするシンバル。
目の前ではなく後ろからの出来事だったので、静寂と喧騒の境界をまたいだ様な体験でした。それまで葬儀といえば厳粛で静寂な雰囲気を保ちながら進行するものだと思っていたので、この時ばかりは不謹慎ながら、ワクワクしてしまう自分がそこにいました。
この印象的な葬儀を執り行う宗派が、まさに曹洞宗でした。
話は変わりますが、葬儀が進行していく中で、左後方にいた僧侶の剃髪された後頭部にあった、赤く小さな膨らみに罰点が付いていたのを見て、きっと蚊に食われ爪で印を付けたのだろうなと、ぼんやり考えていた事をふと思い出しました。