Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
ミラノで15年以上前から、IED (Istituto Europeo di Design) ヨーロッパ・デザイン学院のサウンドデザイン科で、Ricerca Sonora (サウンド リサーチ)という名前の授業を受け持っている。そこでは、音楽の作り方を教えるのではなく、音作品を作る、もしくは鑑賞する際に、その作品にはどんな背景があって、どんなアイデアを基につくられているのか、時代を築いたアーティストの作品の背景にはどんな文化や、影響があるのか、それらの作品は別の時代にどのような影響を残したのか、など、実際に聴きながら考えたり、作品を再現、実演するワークショップを行っている。近年、学生が’00年代生まれの子たちになってから、それ以前の学生との違いを感じるようになった。
音楽やファッション等、〇〇年代で語ることは今でも多いと思うし、少なくとも、’80年代までは音楽とファッションはリンクしていて、例えば、’70年代パンクといえば、音楽もファッションもパッと思い浮ぶことだろう。だが、現在20代の子たちにとって、20世紀は、架空の時代だ。Youtube等で当時の映像が簡単に視聴できるし、追体験をすることは容易になったが、実体験とは違う。シド ヴィシャスのTシャツを着ていた学生に、”パンク好きなんだ?”と質問すると、本人はTシャツの人物が誰なのか知らず、キョトンとしていた。スーパーマーケットのBGMで「アナーキー・イン・ザ・U.K.」が’70年代懐メロ的にかかっていて、パンクがMuzakになる時代なのかと違和感を覚えつつ、それが明るいポップスに聞こえてくるから面白い。
20世紀までは、イタリアから隣国に移動すると国境の検問があり、各国の通貨に両替が必要だった。例えば、スイスのバーゼルでは、ドイツ、フランス、スイスの三国が隣接しているので、高速道路のインターチェンジの売店では、同じ敷地内で、店によって使われている通貨が違ったことに驚いた記憶がある。’90年代後半は、携帯電話やインターネットがようやく流通してきたが、手軽にGoogle Mapが使えるわけではなく、知らない土地を地図を片手に運転していた時代。そういう体験は知識とは異なる。自分が20代だった頃、生まれる前の時代の作品は、レコードや、映画館、ビデオ、本などで追体験し、掘り下げていたわけだが、情報が少ない分、体系的に理解しやすかったような気がする。情報過多の現在、ウィキペディアのような情報はすぐに得られるが、その先にある情報を体系的に理解するには、それなりのノウハウが必要で、そこを学生に求めるのも、説明するのも難しい。
1920年代から2020年代までの100年間を10年単位で、その時代を代表する音楽、ファッション、事件、等をまとめるという課題を出してみると、例えば’70年代を代表する音楽としてビートルズを挙げる学生が一人や二人ではなかったりする。
確かにLet It Beは’70年発売だし、解散も’70年だから、強ち間違いとは言い切れないが、この文脈では、’60年代を代表するアーティストであることは明白だ。しかし、明確に69年と70年でスパッと時代が変わるわけではなく、フェードイン・フェードアウトしながら時代は移り変わる。ニューウェーブといえば’80年代のイメージだが、実際には’70年代半ばからその兆候はあるわけで、そもそも、〇〇年代というのは、後に当時を振り返ってカテゴライズした呼称で、今後どんどん希薄になり、10年単位でのカテゴライズそのものがなくなるのではないだろうか?年代ではなく、違う視点で体系をつくると、新たな歴史的観点が生まれると思う。
Z世代以降の子達にとって、’80年代も’70年代も’60年代も大差ないだろう。日本だったら昭和で一括りだ。その世代の子たちが考える共通認識としての’80年代は、私が考えるものとは違って当然で、今の世の中で言う’80年代テイストということであれば、その時代を体感した私が考えるものとは違うもので、彼らの方が正解になるだろう。同様に私が考える’60年代と実際の’60年代は違うだろうし、ある時代=歴史を語ることは、後の時代の人が作った共通認識なので、時代によってその意味は変わっていくが、それ自体、Chat GPTが説明したような共通認識ではなく、自分なりの歴史観を持つ方が楽しい。だが、事実と異なる場合は注意が必要だ。
シュールレアリズム宣言からちょうど100年が経過し、1924年の自動記述と2024年のChat GPTの関係とか、無意識や、脱コンセプトが100年後に意味を持つのかも?と、ここでも100年という節目で物事を考えていることから脱却すべきかもしれない。