Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
小学生の頃、水泳教室に通っていた。毎週日曜の昼時、公営のプールで開かれるその教室では、何かを特に教えるというわけでもなく、ひたすら先生の指示で泳ぎ続けるだけ。足を複雑骨折した後、体力をつけるために運動をさせたいという親の願いで通い始めた。自分は3人兄弟の真ん中。きっと公営の教室だから安価だったのだろう。「水泳は全身運動だから」というのが母親の口癖だった。
その日も、いつものように自転車で30分以上かけてプールに向かった。いつもと違うのは、菓子パンをカバンに入れていたことだけ。1時間ほど泳ぎ続けた上に、ずっと水に浸かっていたので、体がふやけたような独特の気怠さに包まれてロビーでひと休み。どことなく塩素の匂いが漂っている。帰りもまた夏の炎天下の中、自転車を漕ぐことを考えるとイヤになる。天井近くに取り付けられていたテレビでは、ロボットアニメが放映されている。確か飛行機が変形してロボットになるような、宇宙を舞台にした番組だった。
何気なくカバンから菓子パンを取り出して食べた。それは一見普通のメロンパン。メロンパンの周りのクッキー生地を歯で砕くと、中に何かが挟まっている。それは初めて食べる種類だった。一度横にスライスして、その間にグラニュー糖とマーガリンが挟まっている。砂糖のシャリシャリした食感と、マーガリンの油分と塩味。
えっ?!と脳自体が驚く。なんだこれは!視界が真っ白になり、音が聞こえなくなり、自分の身体が無くなってしまった。なんなんだこれは。
その後のことは覚えていない。きっと貪るように、そのメロンパンを食べ尽くしたんだろう。とにかく美味しかったのだ。いや、美味しいなんてものでは済まない。身体の全てがメロンパンに乗っ取られたような快感。疲れた細胞が欲しているものを完璧に満たしてくれるような食べ物。というか、そんな論理的なものではなく、ある意味暴力的な味覚。そして嗅覚と食感。あんな経験は後にも先にもない。
その菓子パンの銘柄を覚えておくなんて知恵は当時の自分になく、またパンを自分で買いに行くという発想もなかった。母親に、砂糖とマーガリンの挟まったメロンパンが食べたいとねだってみても、違うメロンパンにしか辿り着けない。
夏の日曜の昼、疲れた身体と塩素の匂い。何も期待せずにかぶりついたメロンパン。あのめくるめく味覚を求めて、きっとその後も何度かトライしたのだろうけど、どうしてもあの恍惚には程遠い。
今なら、もっと高級なメロンパンがあるはず。あんな大量生産のビニール袋に入って湿気ったものではなく、焼きたてのものも売っている。それに良質なバターやグラニュー糖を自分で挟めば、もっと質の良いものが出来上がるはず。
しかし、それではあの体験に到達できないのだ。育ち盛りの身体の持つ吸引力にしか、きっとあの体験は引き出せないのだ。それはもしかしたら、あの塩素の匂いだったのか。それともふやけた手指の感覚ゆえの触感のせいだったのか。無心で見上げたテレビの画面との相乗効果だったのか。
薄れゆく記憶のディテールをなんとか言葉にしてみたが、どうにも伝わるような表現が出来たとは思えない。当の本人でさえ、年々その時の感覚が薄れている気がしてならない。もどかしくて仕方ない。
しかし、そんな記憶が僅かでも残っているのはとても幸せなことなんだろう。そしてそれは、好きなことだけを選んでいたら辿り着けなかった、とても深い迷路の底にしか見出せなかった貴重なものなのだろう。今の子供たちにも、このような体験はあるのだろうか。大人たちは知らないだけで、日々そんな経験はどこにでも転がっているのだろうか。あの時の自分のように、それを言葉にして伝えることができないだけなのかもしれない。そして、そんな記憶をそっと閉じ込めて大きくなり、いつかその記憶を夜な夜な愛でる日が来るのかもしれない。
P.S. 自分のサイトをリニューアルしました。
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