Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
音楽とは「音」だ。
普段の生活で聴く音楽はスピーカーから鳴っているものがほとんど。
時には楽器の生演奏だったりもする。
それが音楽だ、というのは当たり前。
今日聴いた音楽は何でしたか?と訊かれると、大抵の人はアーティスト名を答える。
そのアーティストは、かなりの確率で歌手だ。
ということは、歌詞がある。
つまり、音楽を聴くと言葉が一緒に頭に入ってくる。
さらには、そのアーティストのイメージも頭に入ってくる。
顔の造作だったり、衣装だったり、その人の持っている印象が音楽と結びついている。
だから「歌ってみた」のようなカバー曲が面白くなる。
もともと持っていたイメージが、違う人の歌によって違うものに変化する。
昔から知っている曲が違う印象になったり。
あんなにふざけてばかりいる人が、懸命に歌っていたりして惹かれてしまったり。
聴いている人の感情は、音以外の要素に大きく左右されてしまう。
楽譜にすれば同じだとしても。
というわけで「どこまでが音楽なのか問題」が浮上する。
みなさんもよろしければ一緒に考えて欲しい。
音楽を聴く時、人は音だけではなくそれに関わるものも含めて楽しんでいる。
YouTubeで音楽を聴く、という言い方は、動画も含めて楽しんでいるということ。
動画が面白くて再生回数が伸びるというのはよくあることだ。
最近ではダンスも音楽の一部だったりするのかもしれない。
だとすれば、音楽が音だけではなくて視覚を含めるものになっている。
とはいえ、これが今に始まったことではない。
ミュージックビデオという意味では、MTVが始まった1980年代からの流れだと言える。
レコードの時代だと、ジャケットの視覚情報も含めて楽しんでいたはずだ。
我々が、自分が作った音楽を発表しようとすると、ジャケットが必要になる。
YouTubeにアップしようとすると、動画が必要になる。
これが音楽だけを作る人間の悩みにもなる。
しょうがなく人に頼むこともあれば、なんとか自分で作ったりもする。
以前、レコード会社主導でアーティストの曲選びをするのを手伝った時、衣装合わせをしているような気分になったことがあった。
数えきれない衣装の中から何着かを選んで、次々と試着して写真に撮る。
そんな感じで、何百曲かの未使用曲から見繕った曲を1日に5曲程度アーテイストに歌ってもらう。
歌詞がまだ無ければ、ラララなど適当な言葉のこともある。
タイアップ先があれば、関係者にそれを聴いてもらって次のシングル曲を決める。
そんな作業をしていると、音楽は主役を飾るものなんだなと実感する。
音楽は主役ではなく、あくまで主役の背景。
背景音楽やBGM(バックグラウンドミュージック)という言葉がそれだ。
今クラシックの作曲家と言われる人たちは、オペラやバレエのために音楽を作ることもあった。
映画やドラマも背景音楽と言われる。
とすると、音楽は物語の一部であり、逆に言えば物語も音楽の一部になっている。
話は変わって、先日YAMAHAがSEQTRAKという新製品を発表した。
ノートパソコンよりも小さい機材ひとつで音楽が作れるもの。
見た目も良くて面白そうだが、驚いたのはVISUALIZERという機能。
音楽を作る機材を買ったつもりが、動画作成の機材を買ってしまっていた。
そんなことが起こるということだ。
それはとても「今っぽい」ことだし、そんな楽しみ方ができるのはいい世の中だなとも思う。
そしてどこまでが音楽か問題は続く。
歌詞までが音楽なのか、演奏家までが音楽なのか、ダンスまでが音楽なのか、映像までが音楽なのか、物語までが音楽なのか…。
ところで、もうすぐ我々トイロミュージックの2枚目のコンピレーションCDがリリースされます。
1人1曲ずつ持ち寄ったもの。
作曲家の印象までが音楽なのか、事務所のイメージまでが音楽なのか、もしくは…。
もちろん、我々作り手は音のみを音楽と思って制作しております。
と、思います。たぶん。おそらく。