Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
専ら自宅で映画を見るのが楽しみになっていて、その大きな部分がサウンドトラックを聴くことです。近年のサウンドトラックは大体優秀で平均レベルが上がったなあと感心する一方、びっくりすることが少なくなって昔の「ひどい」とか「ずれてる」サウンドトラックを聴く楽しみがなくなってきたような気がします。 この頃見た映画でサウンドトラックが面白かったものをいくつか紹介します。
リー・マービンとリチャード・バートン主演、アラバマの小さな街の1970年代の人種問題を描く問題作。 というか内容がとっちらかっていて、実生活でアルコール問題を抱えるリチャード・バートンのせいで色々無理が来ているし、007シリーズで有名なテレンス・ヤング監督の女性描写は問題ありすぎですが、冒頭に流れるステイプル・シンガーズの主題歌はアナログ録音の密度が濃くてとてもカッコいいです。O.J.シンプソンが列車の前をギリギリで駆け抜ける、とんでもないアクションシーンあり。本人がやったのだと思うけど、こんな危険な撮影、どうやったのでしょうか。いくら脚が速いといっても危険すぎ・・・
ダニエル・シュミット監督、名画の誉も高いと思われますが、今見ると情けないやらバカバカしいやら。植民地主義の成れの果てという感じで、実際にモロッコの友人のところに遊びに行った経験からするとこういうことじゃないんだけどなあと思わざるを得ないなあ。タンジールの映像は綺麗だし、ディオールの衣装に身を包んだ主人公(男性)を鑑賞するのが正しい態度、なのでしょうか。カルロス・ダレッシオの音楽と現地のベルベルの人たちの音楽が交錯するところの、ものすごく乱暴なミックスが衝撃です。
フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーはいつもそうなのですが、バックグラウンドに音楽をつけることは一切なく、同録の音響が映像と一緒に編集されていきます(整音はされている)。ニューヨーク市の様々な区域に支所があり、図書館の中の色々な部署も紹介されます。フィールド録音作品としても素晴らしい強度。都市のストリート・サウンドのカタログでもあり、図書館の中の静かな音響も印象的です。終盤の小さなパーティの場面で、参加者の老人たちのダンスバンドが演奏するのがチャック・ベリーのロックンロールです。
主人公が、音楽大学の入試に歌うのがジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」(邦題も、原題の「Both Sides Now」にしておいて欲しかった)。ジョニ自身の70才、80才でどんどん声域が下がってくる歌唱も素晴らしいですが、映画のクライマックスを引き受けられるだけの大きさを持つこの曲自体の力が大きい。田舎町育ちの若者が世に出ていこうとする、若さが眩しいです。高校の音楽教師の歌唱指導も面白い。
写真家ユージン・スミスのニューヨークのロフト時代のドキュメンタリー。ジャズ・ミュージシャンたちのたまり場になっていて、ユージン・スミスはマイクを張り巡らしアナログ・テープにたくさん録音していたのを同時期の写真とともに編集、途中にはセロニアス・モンクの1959年のタウンホール・コンサート用のリハーサル場面もあったりして、圧巻です。ミュージシャンたちのドラッグや、ユージン・スミスの私生活上の問題なども正直に語られていて、50年代のニューヨーク・ダウンタウンの魅力満載です。
上映時間7時間で、登場人物たちが路上を歩き始めるととんでもなく長い。そのほか、アリとありゆる場面が異常に長いのだけど、見始めるとこのペースに嵌ってもう面白くてしょうがない。全然眠くならなかった(ただし、4回くらいに分けて見ました)。音響も素晴らしく、ずっと通奏低音のように流れる回転を遅くした鐘の音が想像力を掻き立てます。かつてロシアの北の果ての街、ナリアン・マールに響いていた天然ガス工場の遠い響きを連想しました。ずっと昔、兵庫の塚口にしばらく暮らしていた時も、夜になると南の尼崎の工場群から低い音が響いていたのも思い出した。映画の中で、村の居酒屋で10人くらいがアコーディオン1台の伴奏で踊る、これもとても長いダンス・シーンがあるのですが、これまた名場面で必見です。