Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
DJを最初にしたのは、’94年頃の青山、骨董通りにあったBlueというクラブのラウンジだったと思う。パイオニアのCDJ-500が発売になった年で、いち早くこの最新機材が設置され、CDでラウンジものをかけていた。その後、’96年にミラノに出来たクラブ、Tunnelで金曜日のレギュラーDJとして毎週、メインのライブが行われる深夜時間の前後にDJをすることになり、その日にもらったギャラで、週末は蚤の市に出るレコードを掘ったり、ディストリビューターに出向いて、卸値でレコードを買い漁っていた。Plasticという老舗のクラブの別店舗でDJ Bar的なMolto Plasticという店で土曜日のレギュラーも始まり、90年代後半は、月に10本以上DJをしていた。
TunnelでのDJは、ライブ目当てに来る客層なので、出演したグループとの親和性がない選曲だと、お客は引くので、ハマった時は良いけれど、いつもそうとは限らない。
一方、Molto Plasticは、Tunnelよりも客層がポップというか、日によって客層が違い、学生さんの誕生日パーティの団体さんが来たりすると、僕が普段かけているようなものが気に入らず、コマーシャルなものをかけろとリクエストされることもある。そんな時は、すごい古い有名曲とか、外国語でのカバーバージョンといった変わり種で対抗したり。仮に、その客が気に入らなかったとしても、周りが盛り上がっていれば、場は成立するので、嫌いな曲はかけないけれど、一方通行な選曲ではなく、とにかく、お客さんが怒って帰っちゃったりしないで、その場がなんとか成立して、首にならないように、という心持ちで、DJをやっていた。僕の選曲を目当てで来るお客が全てではない、むしろ、たまたま僕がDJをやっている場に居合わせたという客も多いので、どんな条件下でも場の雰囲気を作ることがDJの仕事だと思うが、客を一切顧みず、自分の世界観に没入した選曲をするDJが、最終的に、場を作ることに成功している場合に立ち会うと、本来こうあるべきだと反省したり。
それから四半世紀が過ぎ、最近はクラブでのDJは滅多にやらなくなったが、ラジオや、パーティでの選曲をする機会がある。最近は、アナログレコードのみでDJをしてほしいという依頼があり、5時間、一人でアナログのみとなると、1曲3〜4分として、1時間に15〜20曲、5時間で75〜100曲、とすると100枚持っていけばなんとかなるか?と思ったところで、そんなに都合よく選んだレコードだけでは成立しないので、2箱は持っていかないと心配になる。20キロ超えのバッグを2つとなると、長期の海外旅行に行くような重さで、階段があったりすると非常につらい思いをする。アナログ縛りがない場合は、USBメモリとヘッドフォンだけで良いので、何千曲でも持っていけるが、ある程度、絞り込んでいかないと、現場で選択肢が多すぎて、ブレてしまう。2時間のセットだったら、3時間分くらいのプレイリストを準備して、これは雰囲気違うなあという時用に、別の選択肢を3パターンくらい用意するが、そうすると、何度もかけたことのあるセットになってしまう可能性があるので、今日は9割、最近聴いたものだけでやるとか、自分なりの縛りを決めてやるようにしている。レギュラーでやっているわけではないし、もう50代半ばの選曲家としては、”俺の話を聴け”というセットをやるように心がけている。
と前置きが長くなりましたが、1月5日に代官山にあるDébrisという隠し扉の裏にある、音の良し、酒旨しの小さなクラブでDJをした際のトラックリストの抜粋です。アンビエントからアブストラクトな内容で、最近こういう感じが気分です。