Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
義務教育中の年齢のお子さんなら、信じないでしょうね。20年や30年はあっという間なんです。月曜日の朝、憂鬱な気分で学校に行き、土日を待ち望むも、ちっとも土日にならないはずなのにね。どうやって文章を書き始めるか、全く思い浮かばないので、そんなことから書き始めてみました。
私は、大学を卒業するあたりから人前で演奏することを始めました。子供の頃から常にレコードに夢中だったので、中学生ぐらいからごく自然にギターやピアノで曲を作り始め、カセットテープに録音していたのですが、当時は今ほどには中高生が気楽にバンドをやるような環境が、少なくとも私の周りにはなかったので、80年代バンドブームが世の中に訪れるまで、一人でMTRに向かい、曲を作り続けていました。大学生になり、やっとバイトでお金を得られるようになり、憧れのメーカーの楽器を買ったり、割り勘のリハスタ代を払うことができるようになり、とうとう、バンドに入ってみて、メジャーデビューもしました。その後、30代あたりで、「私にとって、人前で歌ったり演奏したりすることが『何物にも変え難い幸せを感じる』というわけでない」ことが明確になり、家で一人で曲を作るという人間に戻り、幸いなことに、それが生業となりました。1986年から97年までの約10年間、人前で頻繁に演奏したり歌ったりしたので、パタっとその活動を辞めて、「なぜやめたの?」「もったいない」「いつになったら再開するの?」と言われもしましたが、自分の中ではそれほど迷いはありませんでした。
とはいえ、ソロライヴを定期的にやっていた頃に、お金を払って見に来てくださっていたお客さまに、「そろそろ辞めますよ」と予告もせずいきなりライブ活動をやめてしまって、心残りではありました。毎回、静かに聴き入ってくださっていた人達の顔が、今でも頻繁に目に浮かびます。ちょっと似た話ですが、私が長年気に入って通っていたトンカツ屋が、昨年突然、臨時休業の貼り紙の後、何の理由も書かれないまま、永久に閉店してしまい、大きな喪失感に襲われました。烏滸がましいとは思いますが、それといっしょだったでしょうか?「あのトンカツを一生食べられないのか」「なぜいきなり?」と。
それに加え、長年の友である宮崎貴士が、会う度、「しまい込んでいる音源をどこでもいいから発表すべき」と言ってくれるのもきっかけとなり、古いライブ音源を少しづつアップしようとしています。
リンク先のYouTube の説明書きにも書いていますが、作詞作曲、歌とベース、という3つのパートを担当していたので、ライブ音源の自分の仕上がりになかなか満足がいかず、誰かに聴いてもらいたい、と思ってきませんでした。「歌詞が違う」「歌のピッチが悪い」「ベースが間違ってる」「ベースが聴こえない」等と、聴くたび、嫌な気持ちだったからです。しかし、私以外の演奏家は安定した素晴らしい演奏で、私の些細な気分だけで葬り去るのが勿体無い気持ちになってきました。私のライブに通ってくださったお客さまにも小さなお礼ができるのでは、と、微かな期待もこめて。皆さんが元気で、幸せに年を経て暮らしていらっしゃることを心から願っています。