Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
初めてヨーロッパに行ったのは、1987年の7~8月、After Dinnerというバンドのライブ・ツアーで、オランダ2箇所ーロンドンーチューリッヒー南仏のサン=レミという順番だったとおもう。ロンドンはとても寒くて、蚤の市で革のジャケットを買ったメンバーがいたくらい。一転してチューリッヒからはとても暑く、野外コンサートでよく熱中症にならずに済んだな、いやメンバーの何人かは体調崩していた。総勢11人で、年長かつ英語がちょっと話せた私はツアー・マネージャー役で、宿泊・食事・移動等結構たいへん(おかげでコミュニケーションは平気になった)、面倒な列車乗り換えを経てアヴィニヨン駅に降りたときには「集団移動はここまで」(ライブ後現地解散なので)と思って開放感があった。駅前でチェリーなどを買いつつ(余談ですが、ユーロ貨幣の導入は2002年なので当時は各国通貨が異なり、会計もやってた私はどこで両替をするかが最大の関心事だった)、フェスティバルの迎えの車を待っていると、土地の人たちの大半がエスパドリーユを履いている。サンダルかエスパドリーユ、というモード。靴屋ではなくても、いろんな店の入り口で大きなカゴに束になって売られているので、早速ブルーの物を買ってみた。裸足で歩くと、底のジュート糸のざらつき感が気持ち良くてクセになる。汚れるのも早く、濡れるとすぐにボロボロになるのだけど、そこからが味わい。
サン=レミは、ゴッホが入院していた療養院があることで有名な小さな町で、私たちがフェスティバル期間中宿泊させてもらったのは夏休み中の学校の寄宿舎。フェス会場(第2回MIMIフェスティバル,当時は先鋭的なロック・フェス)は町外れの闘牛場(スペインに近い南仏には小規模な闘牛場がたくさんあった)、昼間のフェス関係者のセッション会場は郵便局の2階、賄いは郵便局の近くの小学校ということで、フェスティバルの4日間、朝から夜までとても楽しんだ。ReRレコード(After Dinnerのヨーロッパでのリリース元)社長のクリス・カトラーにベジタリアン・フードをご馳走になったり、フレッド・フリスと簡易クリケットをやったり、チューリッヒで知り合ったカップルにキャンプ場で散髪してもらったり、良い思い出ばかり。
で、明け方から蝉が鳴き始める。日本の蝉と違って音が低く太い。体も大きく、一匹でも大音量で立派。南仏のサウンドトラックだ。