Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
私の後半の人生は、罪滅ぼしだけでギッシリ埋まっている。小さい頃、捕まえてきて飼っていたオタマジャクシやカエル、カブトムシ等、「毎日掃除しないとかわいそうだ」「死んでしまうぞ」と親から言われていたのに、真剣に掃除せず、水槽の水が腐ってしまい中の生き物も死んでしまったし、カブトムシが汚れた箱の中で、逆さになってもがいている姿が今でも目に浮かぶ。ごめんなさい。ごめんなさい。以前、アパート暮らしで一匹の野良猫にエサをやって家の中にも長時間入れていたのに、引っ越しの時、「ペット可」の物件に住む甲斐性がなく、その猫を置いてきてしまったこともあり、申し訳なくてたまらなく、15年後ぐらいに、その猫とそっくりの猫を飼って、「今度こそ最後まで大切にする」と罪滅ぼし。動物だけでなく、迷惑をかけたり、裏切ってしまった人間にも申し訳なく、ただし、人間の方は、年月を経たあと、気軽に謝ったりして、相手をかえって嫌な気持ちにさせ、自己満足に終わる可能性が多過ぎて、当の本人でなく、別の人間に善行を返しているような気もする。そもそも善行ってのも烏滸がましいですね。
そんな綺麗事を言っては見たものの、美味しくない肉や魚をひとかじりして、「せっかく死んだのに、無駄死させてごめん」と謝りながら、食べずに残す。買ってきたシラスを皿に盛るのに、プラスティック容器にくっついた数匹を丁寧に取らずに水で流してしまい、「せっかく死んだのに、無駄死でごめん」と謝る。居酒屋のひどく不味いお通しの肉や魚に、「ここの料理人がせっかく死んだお前を大事にせず、私も食べずに無駄死させてごめん」と謝る。生きていれば謝ることだらけで、「生きていてすいません」と思う。あれ?太宰は「生まれて、すみません」だっけ?と改めて調べると、それは太宰自身のオリジナルではないという説。知らなかったです。文豪なら私は漱石好きなだけですし。
今の気分。
ロイ・オービソン繋がりで、以前、「トイロのココロ」で取り上げたリンダ・ロンシュタットのカバーでも有名な、
素敵な演奏だ、と、酔いしれたついでに。