Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
サッカーの世界では、ひとつのクラブチームで選手としてのキャリアを全うし、そのクラブの象徴となった人物のことをバンディエラと呼ぶことがあります。本稿は 川崎フロンターレ のバンディエラである 中村憲剛さん を軸に日本サッカーの歴史の一端を紐解くという趣味的でニッチな内容となっておりますので、興味のある方以外は読み飛ばしていただけると幸いです。よろしくお願いします。
・中村憲剛と川崎フロンターレ
中村憲剛選手は2003年に川崎フロンターレに入団しました。当時の川崎フロンターレは1試合の平均観客数が数千人、順位もJ1とJ2を行き来するような状態であったため今ほどの知名度もなく、中村憲剛選手が入団したことにも注目が集まることはなかったように思います。しかし、その頃から川崎フロンターレは積極的な広報活動と地道なチーム強化を足ががりに観客数や成績を右肩上がりで伸ばしていき、優勝タイトルこそなかったものの、有力チームの一角としての立ち位置を徐々に確かなものにしていきます。そういった中、中村憲剛選手も次第に頭角を現しはじめ、2006年には日本代表に初招集、2010年には 南アフリカワールドカップ日本代表 にも選出されました。
Jリーグでも指折りの好選手として知られるようになった中村憲剛選手に海外移籍のチャンスが舞い込んだのは南アフリカワールドカップのすぐ後。オランダやトルコのチームから打診があったのですが、中村憲剛選手はその打診を断るという決断をします。理由は「(他のチームへ移籍をするよりも)今のチームで優勝したい」。当時はまだ無冠であった川崎フロンターレ。自分自身のチャレンジよりも、今いるチーム、自分を育ててくれたチームに何かをもたらすことを選択したのです。
そして、2017年、川崎フロンターレにJリーグ初優勝のチャンスが訪れます。リーグ戦の最終節を迎えて首位の鹿島アントラーズとは勝ち点2差の2位。川崎フロンターレが勝ったうえで鹿島アントラーズが引き分け以下ならば川崎フロンターレの初優勝が決まるという状況の中、川崎フロンターレは5-0で勝利、対して鹿島アントラーズは0-0の引き分け。中村憲剛選手が入団して15年目、川崎フロンターレのJリーグ初優勝が決まりました。
試合終了後、優勝したとわかった中村憲剛選手は等々力競技場のピッチで人目もはばからず号泣します。 移籍をせず、十数年ともに歩んできたチームが満員のホームスタジアムで初めて優勝を果たしたその時、彼の胸にはどんな思いが込み上げてきたのでしょうか。その後、さらに2度のリーグ優勝という置き土産を残して中村憲剛選手は引退します。2020年のことでした。
さて、ここで時計の針を少し進めます。
・日本代表、カタールワールドカップアジア最終予選
2021年10月、カタールワールドカップアジア最終予選を戦う日本代表は今までにないほどの苦戦を強いられていました。全8試合のうち、3試合を終えた時点で勝ち点は1。これは「あと1敗でもすれば予選突破が非常に難しくなる」という危機的な状況です。そんな中、日本代表の森保監督は4戦目のオーストラリア戦で戦術を大幅に変更、新戦術の中心に据えられた 田中碧選手が先制ゴール を奪うと、その勢いのまま2-1でオーストラリア代表に競り勝ちます。この結果を得たことによって本来の実力を取り戻した日本代表はそこから順調に勝ち点を積み重ねていき、7戦目で再び対戦したオーストラリア代表を 三笘薫選手の決勝ゴール で撃破、無事カタールワールドカップ本大会への出場権を勝ち取りました。日本代表のワールドカップ出場は、初出場したフランス大会から数えて7大会連続になります。
この予選を見ながら、わたしは川崎フロンターレのバンディエラ・中村憲剛さんのことを思い出していました。なぜなら、この予選で活躍した田中碧選手と三笘薫選手は、どちらも川崎フロンターレのユースチーム(育成部門)出身で、中村憲剛さんのプレーを見ながら育った彼の後輩たちだったからです。こちらの3枚目の写真、当時の中村憲剛選手の後ろで頬に手を添えているのが田中碧選手、屈託のない笑顔を見せているのが三笘薫選手。ふたりともまだ小学生です。これと同時期に撮られたであろう、エスコートキッズとして中村憲剛選手と手を繋いでスタジアムへ入場する三笘薫選手の写真 も、一時期Twitterなどで話題になりました。
こういった彼らの関係性が伺えるものを知っていくと、真剣な面持ちでインタビューを受ける三笘薫選手が中村憲剛さんの声を聞いただけで笑顔になってしまう 理由もわかるような気がします。きっと、彼らにとって中村憲剛という人は、憧れであり、良いお兄さんなのでしょう。
もしかしたら…中村憲剛さんが自らのキャリアを賭してもたらしたものは、川崎フロンターレの優勝だけでなく、さらにその先まで続く日本サッカーの未来だったのかもしれません。オーストラリア戦後のインタビューで田中碧選手はこう言っています。「試合前、自分たちへカメラを向けている5歳くらいの子供を見て、こういう子供たちに夢を与えなければいけないと感じた」。 偉大な先輩の背中を追いかけてきた少年が、今度は自分の背中を次世代の少年たちへ見せようとしている。少し大げさかもしれませんが、「歴史というものはこうして紡がれていくのだな」と思ったりもします。
今月の20日からサッカーワールドカップカタール大会が開幕します。先日、本大会を戦う日本代表 が発表され、田中碧選手と三笘薫選手がともに選出されました。彼らはどのように戦い、そして、どのような歴史を作ってくれるのでしょうか。楽しみです。