Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
近頃、人名にいちいち年齢を載せるのをやめよう、という動きがあり、犯罪の容疑者のような立場の人以外は年齢を書かなくなってきています。私は自分の年齢を、知ってもらってもなんでも構わない派です。そもそも昨年出したアルバムは『1964』というタイトルで、自分の生まれた年ですし、年配の方々に対する「若く見えますね」というのが最大の賛辞だとも思っていません。
私が20代の頃は「オバタリアン」という言葉が大流行し、「おばさんは若い子に口うるさい」が前提で世の中が動いていました。そんな時代を経てしまったので、私のような50代は「絶対に若い子に口うるさくするまい」と年をとっている人が多い気がします。(公共のマナー等が悪くて私が腹を立てる相手は若い世代でなく、相変わらず旧オバタリアン世代ですし。)
年をとって困ることとは何でしょう。当たり前のことですが、徐々に寿命が近づいてくるので、身体が終わりに向けて準備を始めているのが実感できます。差し当たって私が今一番困っているのは、老眼です。睫毛や猫の毛が目に入ると10倍拡大鏡で拡大しない限り、肉眼では見えません。老化現象の一つとして、ドライアイも当然ありますから、涙が異物を洗い流してくれたりせず、永遠に目に入ったままで気が狂いそうになります。在宅時なら、拡大鏡で目を見て、毛抜きで慎重に取りますが、外出時は地獄です。目がゴロゴロしたり、シバシバしたまま、コロナ禍で目も触らないようにしているのも手伝い、何時間も耐え抜きます。我慢できないと、洗面所で目を水で洗いますが、睫毛はともかく、猫の毛など絶対取れません。差し当たって今欲しい能力は鈍感力だとも言えます。目や歯の異物に気付かない人間になれば、もっと楽になれるでしょう。そういう老人に憧れます。
それから、20代のような爆睡はできなくなってしまいました。若い時代は、文字通りアホのように長時間寝てましたから。今は、二日酔いであろうと疲れ果てていようと、長時間は寝られません。それで「美容に悪い」と気にしてもいません。大好きだった母方の祖母は、働き者で、いつ見てもだいたい起きていました。それなのに90歳近くまで長生きしたので、そんなもんで良かろうと思っています。
記憶力は悪いと思いますが、そもそも、子供の頃から悪かったので、今更気になりません。歴史のような、年号、人名を丸暗記しなければいけない科目は、いつも赤点でした。その場の集中力だけで乗り切る学科だけまともな点数だった気がします。
一度損ねた身体の部位はもう多分死ぬまで元通りに回復しないだろうな、とも思って生きています。何せ、寿命を迎える準備が始まっているのですから。それは、この世に生まれ出た瞬間からもう始まることで、地球上の生物のほぼ全てに公平に起こっていると思うと、全く、恐れも感じないです。幸いにして、何かを作り出したい欲望は劣化した気もしないので、「芸術は爆発だ!」という気持ちになる頻度が少しは減ってるような気もしますが、それでも、私は活火山です。
文章には全く関係がないですが、ここ数週間、毎日聴いている曲。
ヒットした当時はあまり好きでなく、ほとんど聴きませんでした。どうして、今、この曲が好きなんだか全然わかりません。R.E.M.ご本人達もこの曲に愛情がないみたいですが、こんな空元気なモノを自分が今求めているんだと思います。できればご本人達もこの曲のよくわからない明るさをそろそろ愛でて欲しいです。