Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
相変わらず、視聴コンテンツ(僕は「観もの(ミモノ)」と呼んでいます)を仕事のように漁っております、郷です。
さて、この春から突如「生まれ変わり」というものへの興味に目覚めました。
いわゆるスピリチュアルな界隈の言葉ですが、個人的にはこれまでそちら方面にあまり明るくなく…アクマでSF的な観点から興味をそそられたというのが正直なところです。
きっかけになったもののひとつが、各種サブスクで視聴可能なノンフィクション番組「死者の記憶をもつ子供たち」シリーズ。
例によってTwitterにて数度に渡りSpaceを開き、アルコールを嗜みながら、話し手やリスナーの皆さんの生まれ変わりにまつわる見解や、作品紹介などを展開して参りました。
作品紹介については、郷Spaceの準レギュラーまゆたんがnoteにまとめてくれております。
初回で一番紹介したかった アニメ「灰羽連盟」を失念していたことが悔やまれます…。
スペースを重ねていくにつき、僕は生まれ変わりの工程において、前世よりも「前世が終わってから今の人生が始まるまでの猶予期間の世界」のほうが興味深いということに気付きました。皆さんと話し合ってなんとなく見えてきた、生まれ変わりはあるものと仮定した際の、ルールのようなもの。
僕個人の見解
この件は、最終的な結論は出ないと思います。生涯を終えてようやく答えが。
空腹は最高のスパイスと言いますから、どうか皆さん長く長く生きて、生まれ変わりの工程を美味しく味わえますよう。
ちなみに、さらに生まれ変わりの件から派生して、「自分の一番古い記憶(または夢)」を各々思い出してみようというコーナーも始まりました。
大体ほとんどの方は、幼稚園児の頃の記憶が最古。嬉しかった・楽しかった記憶よりも、悲しい記憶のほうが残りやすい傾向にあると分かりました。
僕は数回のスペースを経て二転三転…肺炎で入院してた3歳頃の「病院で一生暮らしていく民」としての意識があったことを思い出しました。
夢の記憶も同じく幼稚園児の頃が最古という方が多く、中でも悪夢を覚えてらっしゃる方が多い印象。僕も毎日のように悪夢を見ていた記憶があります。
まだ夢とはこういうもの、現実とはこういうもの、という区分けが曖昧な頃だったりしますから、怖い夢は怖い現実に等しいですね。
さらにさらに派生して、体外離脱のやり方まで話は飛びました。ここでようやく音楽家らしい話を書きます。
体外離脱は、要は目を閉じて横たわって、寝そうで寝に入らない、中間の状態を持続させるということ。
その状態にまでもっていきやすい「ヘミシンク」と呼ばれる音を、ヘッドフォンやイヤフォンで聴くという行為があります。
ヘミシンクサウンドの中のポピュラーな一種が、左右のピッチをほん~のわずかにずらしたサイン波(ポーーーという電子音です)。
バイノーラル・ビートと呼ばれ、それこそ海の波の如く、ぶおぶおと揺れ続けます。その波に自分の意識が同調できれば、夢と現実の間の第3の意識へ。
かつて長尺のファイルを自分で作って試してました。離脱体験は面白いのですが…最近はめっきり…起きてるよりも寝てるよりも疲れるので。
文献によっては、離脱行為は危険とも書かれておりますので、完全に自己責任でよろしくお願いいたします。…平たく言うと、全く推奨はしません(笑)。