Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
先週から始まり11月27日まで開催の、ヴェネチア・アート・ビエンナーレに行った。例年は6月から開催なのだが、今年は2ヶ月も早くなった。一年延期になったので、前回来たのは3年前。ミラノからヴェネチアまでは約270km。特急で2時間半、水の都に到着する。コロナで、観光客が激減し、運河の水質も良くなったというニュースを聞いていたが、あくまでもロックダウン中の話で、駅を出るともうすっかり観光客で賑わっていた。一つ違うのが、東洋人がほとんど居ないこと。
初めてビエンナーレを訪れたのは1993年。この年は、ハンス・ハーケとナム・ジュン・パイクが代表作家だったドイツ館が金獅子賞を取った年で、ハンス・ハーケはドイツ館の正面にドイツマルク硬貨のオブジェとヒットラーの写真を掲げ、中に入ると、大理石の床は全て剥がされ、瓦礫の山になっていて、来場者はその上を歩くという作品で、ポリティカルアートってこういうことなのかと、当時20代だった僕に強烈な印象を残した。この時、サンマルコ広場でコーヒーを飲んでいると、偶然パイク夫妻が歩いてくるので、「こんにちは!」と挨拶すると、パイクさんはニコニコしながら日本語で、親しげにお話して頂き、すごく嬉しかったことを覚えている。
そして、その2年後の’95年、この年はNHKでビエンナーレを衛星生中継するという仕事のスタッフとして携わり、空き時間に池田満寿夫さんと二人でグッゲンハイム美術館に行くことになってすごく緊張したが、(多分、池田さんが勝手にいなくなってしまわないように、監視役ということだったのだろう)ここに所蔵されているジャン・メッツァンジェの「Au Vèlodrome」という作品の前で、"僕はこの絵がとても好きなんです"、と言うと、池田さんはそっけなく、"ふーん、硬いな"と、一言。彼の好みではなかった様子。でも池田さんの展示作品に対する反応を観ているのはとても贅沢な時間だった。
2022年、第59回目のビエンナーレのメインパビリオンは、「The Milk of Dreams」という、イギリス人のシュールレアリスト作家レオノーラ・キャリントンの著書から引用されたタイトルで、「身体表現とその変容」「個人とテクノロジーの関係」「身体と地球のつながり」という3つのテーマが基になっている。今年は故人の作家の作品も多く、なぜこれが選ばれてるのか?その文脈を模索しながら、それとは別に60余ヶ国のパビリオンはそれぞれ独自のテーマで作品が展開されているので、全体のテーマを理解しようとするのは無理がある。全く別々の切り口で創られた作品を通して、何かしら、世界が思っていることを捉えに行く、それがビエンナーレ体験の意義なのだと思う。作家が出展をキャンセルし、入り口が閉ざされたロシア館を観るだけでもそこに明確な意味が生じてしまう。
1993年から29年後に観たドイツ館の「Relocating a Structure」と題されたマリア・アイヒホルンの作品は、元々1909年にバイエルン王国のパビリオンとして建てられ、1912年にドイツ館として改名され、1938年にファシズム様式の威圧的な外観に変貌していったこの建物をドイツ館の名前、床や壁を剥がし、’38年以前のオリジナルの構造を露出させるという、ハンス・ハーケとはまた違った切り口で、ドイツの負の遺産を追いかけている。
この調子で、色々なパビリオンの感想を書き始めるときりがないが、今回の日本館は、Dumb Typeが担当している。
4台の高速回転するシリンダー状の鏡に赤いレーザーでテキストを当てて、四方の壁に1850年の地理の教科書から抜粋された12の言葉がが投影される。
Who governs an Empire?
Who governs a Republic?
In what Country do we live?
こんな言葉にハッとさせられる。
ビエンナーレ会場を後にし、アカデミア美術館で開催されていたインド人彫刻家のアニッシュ・カプーア展を観る。常設展も観ることになるので、急に16世紀のヴェネチア派の宗教絵画の世界に放り込まれ、そこから再び、現代的なアニッシュ・カプーアの作品で、500年分の美術史を体感し、2万歩以上歩くと、頭も身体も限界で、予定より早めにミラノに帰ったのでした。