Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
私はここ2年ほど、視覚障害者のガイドヘルパーをやっています。
きっかけは、視覚障害者である鍼(はり)の先生の外出を手伝いたくなったことです。きっと毎回「何かお礼を」「いえ結構です。」の押し問答が発生するのが想像できたので、正式な資格をとって、福祉の仕事として、国からきちんとした時給を頂くことにしました。突然の思い付きにしては、順調に資格も取得できましたが、たった一人の視覚障害者とだけ行動するのでは、スキルが全く向上しない危惧があり、地元の事業所に所属して、10名以上の視覚障害者と様々な場所に外出しています。職業倫理としての守秘義務があるので、誰かを想定しては書けないのですが、彼らと一緒に行動していて、1つだけ。「自分がもし目が見えなかったらどうしてもらいたいだろうか?」と、道路やお店ですれ違う人達に想像していただきたいと思います。人は突然、様々な病気や事故で自由に行動することができなくなります。誰も他人事でありません。
さて、視覚障害のある有名人は音楽界にも何人もいますが、スティービー・ワンダーやレイ・チャールズなら誰でも知っていることと思います。今回はその、スティービーの曲についてです。
弊社の長老、横川理彦の名著、『サウンドプロダクション入門』(BNN) を今年の前半、読みました。
その中に、「ポピュラー音楽で知っておくべきアーティスト11組」という章があり、スティービーが含まれていました。スティービーという人はとても大きな存在なんですね。
私がスティービーの作品に馴染んだのは、1972年の「トーキング・ブック」というアルバムの中の曲で、「サンシャイン」と「迷信」が最初でした。
1972年というと、私はまだ8歳ぐらいで、レコードを自分で入手して聴くには幼過ぎる訳で、どうやって聴いていたか?思いを馳せてみます。
私の両親はスキーが好きで、シーズンになると、毎週のように、苗場スキー場に家族4人で出かけていました。まだ母が運転免許を取得していなかったはずで、父が一人で車を運転し、母は助手席、私と弟は後部座席にいました。
当時、まだ関越自動車道がなく、何時間も延々と群馬の国道を走る間、父が車でカセットテープをヘビロテで聴いていた中に、スティービーの2曲は入っていました。ここで、スティービーの話からいきなり逸れるんですが、そのカセットには、父がラジオやレコードからダビングした沢山の曲が入っていて、渋川、沼田と国道を旅する間、同じ72年のチック・コリア「リターン・トゥ・フォーエバー」という曲もありました。
私は、あまり系統だって音楽を聴くほうじゃないのですが、これらの曲には、この年に流行した音の特徴が十分出ているんではないでしょうか。そして、夕方の寂しい国道を延々と走る残像とともに、これらの空気感が私にとって「不吉さ」を感じさせるものとして固定されてしまっています。言い方は極端ですが、陽が落ちる頃、片側1車線の、民家の玄関が狭い歩道沿いにすぐ迫っているような国道を走りながらこの空気感の曲を聴くと、「死にたくなってしまう」んです。
多分、そのテープには、スティービーの少し前の曲、「マイ・シェリー・アモール」も入っていました。
この曲のイントロが特に死にたくなります。恋人に向けたラブソングなはずなんですが。
そして、前回の「トイロのココロ」でも取り上げた映画『世界にひとつのプレイブック』でも、この曲を聴くと、嫌な思い出がこみ上げて大暴れしてしまう主人公の姿がありました。「この曲で死にたくなるのは私一人ではないんだ!」とひどく共感を覚えました。スティービーの曲には、うっとりすると同時にひどくどんよりした気持ちにさせるものがいくつかあります。先程取り上げた曲の中では、「サンシャイン」もそうです。後半、テンポアップするところで、私の心は、何故かどんよりしてしまうんです。後のアルバム、「ファースト・フィナーレ」なら最初の曲、大ヒットした「キー・オブ・ライフ」にもいくつか、それに「シークレット・ライフ」など、かなりの曲が狂おしいんです。大好きなアルバムなんですけどね。
しかし、その後、80年代に入り、スティービーの曲で「死にたくなる」要素は無くなります。そこから私はスティービーのアルバムを、意図せずですが、1枚も買っていません。スティービーの心の中なんて何も知らないので、このテキストの一番最初の話、視覚障害者の苦悩だとかに繋げるつもりはありません。彼は生まれた時からの全盲で、いくつかの書物を読んだところによると、目の見える人との比較に苦しむタイプではなかったようです。豊かな音の世界に浸かっている賑やかな少年でした。私が死にたくなるエコーの効き具合や、コードに対するボイシング等を分析してみればいいんでしょうが、残念ながら、私はそんなタイプじゃありません。分析はきっと性に合わないのです。なので、ただただ、感情だけで、これからも音楽を聴き続けます。