Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
音楽が突然やって来た。小学校低学年の時だった。初めての音楽鑑賞の授業で耳にした、Ludwig van BeethovenやJohann Sebastian Bachの作品に心を奪われたのだ。其日の内に、ピアノが欲しいと両親に強請る。然し漫画本一冊を買ってもらう、という事とは訳が違った。だがピアノ教室だけは通わせて貰う事を許された。続くかどうか様子見、という事であったのであろう。暫くは入門書のバイエルに付属している、紙鍵盤での練習が続いた。数ヶ月が経った或日、学校から帰宅すると、応接室にピアノがあった。狂喜乱舞した。ピアノを弾いていない時間は、色々とクラシックを聴いた。特に祖父の遺品の中にあったBeethovenの《クロイツェル》ソナタが好きだった。その盤には何度も何度も針を落とした。勿論、引き続きピアノの練習をし、教室に通う。ーーーーーーーーーーーーーー然し物事は旨く進まない。一年も過ぎた頃になると、少しづつ練習が億劫になる。色々と理由はあったと思う。特に大きかったのが、先生はとても癇癪持ちであった。更には度々中座し、暫く帰って来ない事が多かった。隣室からは家族の誰かと談笑している声と共に、煎餅を砕く音が聞こえていた。好まれているか好まれていないか位、子供でも分った。家では段々と即興演奏というか、出鱈目な演奏を好むようになる。練習が疎かになった。先生は更に癇癪を起こしていった。其の頃位からか、兄の影響で、ロックを聴くようにもなった。時が少しだけ過ぎ、小学校五年生になるタイミングで、他の23区へと引っ越しをする。ピアノ教室も必然的に変わった。環境が変化すると、気持ちも変化する。古典派やロマン派の音楽よりも、60~70年代のロックに益々傾倒していく。米国からの帰国子女である友人からの影響だった。
以降、ピアノとの関係は、中学の時に一旦途絶え、高校に入って再開した時には、課題曲の練習と演奏、それから作曲時の道具として。課題曲から開放された後は、作曲する時だけが主要な用途であり。更に現在では、最早ピアノの音色しか必要としていない。何故ならば鍵盤がMIDIキーボードに取って代わっても、ピアノの音色だけは、今でも作曲の着手時には欠かせない、素描の為の筆だからである。
中学生になると、ロックから気持ちが離れていた。今まで聴いたことのない、刺激的な音であふれた音楽の存在を、知ったからである。Yellow Magic OrchestraやKraftwerk、Wendy Carlosや冨田勲氏等々(つまりクラシックはカタチを変えて、再び聴く様になった)。それらの音楽はほとんどの部分、電子音で構成されていた。またその電子音は、シンセサイザーという楽器から発音されていると知る。シンセサイザーの解説本を購入した。ボルテージ・コントロール・オシレーター、とかエンベロープ・ジェネーターなどの名称と役割をその本で学んだ。またシンセサイザーを日本語で表記すると「電圧制御合成音再生装置」となるらしい。なる程と暗記した。しかし日本語表記に関しては、この解説本以外で、ついぞ目にしたことも耳にしたこともなかったが。兎にも角にも、いつかは自分も手にすることを夢見る。その当時の休日の過ごし方といえば、渋谷の道玄坂にあった、今はなきヤマハミュージック東京 渋谷店へと足しげく通うこと。1階フロアに、各種メーカーのシンセサイザーが所狭しと陳列されていたからだ。そして、びっしりと配置されているコントローラー群に目を奪われながら、触ってみたり、アンプにつないでもらい、恐る恐る音を出してみたりして過ごしていた。
時が過ぎて、いよいよ手に入れるメドが立つ。購入を決めたのはKORG MS-20という機種だった。理由は、エディットの可能性を感じるパッチ部分。スライダーよりも微妙なセッティングができる、ダイヤル型のコントローラー。そして何よりもデザインが格好良い。それ故に初期の段階で、ほぼ決定していた。
こちらは弊社所属作家の、松前公高さんのライブ映像です。舞台後ろのプロジェクターからは、MS-20を演奏・操作する松前さんの手元が映し出されていて、とても興味深く、サウンドは倍音をたっぷりと含み格好良い!
(つづく)