Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
たまたま、今日リリースのものがあるのでお知らせ。
ギタリストの石井マサユキさんと共同名義でデジタルリリースします。
石井さんは、ボーカルの武田カオリさんとの TICA や、森俊二さんとの Gabby & Lopez でも活動されていますが、自分にとっては、90年代のバンド The CHANG のボーカリストであり、憧れの作詞家・作曲家でもあります。
とにかく、共同名義ってだけで、とても嬉しいのです。
自分が音楽を仕事にしたいと思っていた学生時代、自分たちのバンドで渋谷La.mamaに出演できるようになってすぐ、La.mamaの店長に勧められて観た The CHANG 。確か、千ヶ崎学と小松シゲルと奥田健介と一緒にステージを眺めていたと記憶しています。
音楽大学には進学できなかったため、自分の音楽知識は子供の頃に通ったヤマハ音楽教室のみ。30代になり、音楽を仕事にしようと決意したものの、機材を持っていないどころか、何を買えばいいのかも分からない状態でした。そんな時、嫌がらず相手をしてくれたのは権藤知彦さん。サラリーマンの仕事を終えた自分は、秋葉原にある権藤さんの仕事場に向かい、ただひたすら作業を見ているだけ。最初は何をやっているのかさっぱり分からなかったのが、何百時間も見学していると、その作業工程と意図がおぼろげに見えてくる。使っている機材も違って、すぐに真似出来るものではありませんでしたが、一番の勉強でした。たまに家に帰れない時間になって泊まらせてもらったり、有難い思い出です。
その後、仕事でCHEMISTRYやSMAPに関わるようになって、作曲編曲だけじゃなくボーカルディレクションという立場で、歌を録るスタジオで膨大な時間を過ごすようになりました。そうすると、ひたすら一流の人が作った一流の音を浴びるようになります。それは、ある意味拷問のような時間です。CHOKKAKUさん、長岡成貢さん、宗像仁志さんなどの作る音は、自分の作るものと桁違いに素晴らしく、それが辛いと同時に甘美な音楽体験でした。特にジャニーズものは、歌に頼らない音作りをしなければなりません。メロディのないインストを聴くだけで音楽として魅力的に成立している必要があり、それを浴びるのは本当に良い音楽体験なのです。そしてこの先輩方と自分が同列に立たなければいけないという、現場での猛烈なプレッシャーも、得難い経験でした。
その後、石井マサユキさんと再会します。初めて一緒にスタジオに入ったのは、CHEMISTRYがカバーした「月の舟」という森雪之丞さんの曲でした。石井さんのアレンジに、自分がボーカルアレンジをどんどん加えていったのですが、全てのアイデアを面白がって受け入れてくれました。
その頃、石井さんの音楽は静謐な方向に向かっていて、The CHANG の頃のグルービーさとは程遠いところにいました。見方によっては別人になってしまったかのよう。とはいえ、今の自分にはそれらを貫く何かが見える気がします。
池澤夏樹の小説「スティル・ライフ」の冒頭に、こんな表現があります。
この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐ立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。
それを喜んでいる。
世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。
きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
この言葉に倣うなら、石井さんのスタンスは、常に「きみ」という個人の中をしっかりと見つめ、誠実に向き合っているという点で、昔も今も変わらないのだと。
それに対して自分は、ついつい「世界」の側を意識してしまい、その世間みたいな得体の知れないものに振り回されがちだなと思うのです。いや池澤夏樹に言わせれば、世界という立派な木に寄りかかってしまう弱さがあるということです。
石井さんは「自分の内部の広大な薄明の世界」を常に想像している人。今は、その近くにいることで少しでも影響を受けたいと思って過ごしています。
今日からリリースされる石井さんとの作品において、自分では「ブライアン・イーノにおけるハロルド・バッド」「パット・メセニーにおけるライル・メイズ」のような立場になりたいと思っていましたが、こうやって書いているとまだまだ道のりは遠いと感じます。
とにかく、そんな二人名義の作品、よろしければ聴いてみてください。4月5月にシングル、6月にはアルバムも出ます。