Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
お笑いコンビ・ダーリンハニーの吉川正洋さんが、自著『妄想鉄道ガイドブック』を上梓した。
本書は、筆者が子どもの頃から思い描いてきた架空の鉄道会社「吉川急行電鉄」を、ガイドブックや事業計画書さながらの体裁で紹介する一冊だ。都市部に張り巡らされた各路線(「吉武線(1号線)」「吉急本線(2号線)」「シティライン(3号線)」「王子線(4号線)」「世田谷通り線」)の詳細に加え、実在する東急電鉄の"中の人"との対談も収録。いわゆる妄想鉄(*1)の魅力を多角的に掘り下げた、非常に興味深い内容となっている。吉川さんの妄想鉄道の詳細についてはこちらの記事やこちらのポッドキャストを参照してほしい。
あらためて「吉川急行電鉄」の路線図を眺めると、東京都市部の鉄道網にある"空白地帯"が見事に補われており、「よく考えられているな」と感心してしまう。東京の、とくに城西・城南地域では、渋谷や新宿から放射状に延びる横方向の路線は充実しているものの、それらを縦に結ぶ路線は東急世田谷線くらいしか存在しない。たとえば下北沢から中野へ行く場合、渋谷経由か新宿経由でJR線に乗り換える必要があり、直線距離を考えると大きな遠回りになる。しかし「吉川急行電鉄 吉急本線」があれば、最短ルートで所要時間も10分ほど。まさに理想的な路線である。
もちろん「吉川急行電鉄」は存在しないため、実際に乗ることはできない。だが「こんな路線があれば便利だ」と語られること自体、現実の鉄道網に不便さがある証拠だろう。いまの東京には「縦のラインが欲しい」と思わせる状況が確かにあるのだ。
では、この課題を解決しようとした計画は今までなかったのだろうか。
実は戦前に「第二山手線」と呼ばれるそれに近い構想があった。1920年代半ば、東京山手急行電鉄(のちの帝都電鉄)が、山手線の外側をぐるりと回る環状線を建設しようとしたのである。ルートは大井町を起点に、自由が丘~梅ヶ丘~明大前~中野~江古田~板橋~駒込~田端~北千住~鐘ヶ淵~平井を経て、洲崎(現・東陽町付近)に至るものだったが、しかし、世界恐慌や戦争の影響などで建設が進まず、計画は頓挫してしまった(*2)。
残念ながら「第二山手線」は幻に終わったしまったが、もうひとつ、未来に向けて縦のラインを補おうとする構想は今もなお存在している。「エイトライナー構想」「メトロセブン構想」だ。環七通りや環八通りの地下に新たな環状鉄道を建設しようというもので、関係区が協議会を設置して検討を進めている。ただし駅の位置や着工時期は未定で、あくまで政策上の検討路線にとどまっているのが実情だ。莫大な建設費用や人口動向を考えれば実現性は高くないが、将来的に動き出す可能性もゼロではないだろう。
―― こうして見てみると、「吉川急行電鉄」という架空の路線、「第二山手線」という未完の路線、そして「エイトライナー構想」「メトロセブン構想」という未来の路線の3つのレイヤーが"縦のライン"の空白を埋めるかのように同じルートをなぞっている。この現象、まるで鉄道のマルチバースを覗き見るかのようで実に面白い。今後、東京がどういうレイヤーの未来を選び、どうアップデートされていくのか。注目していきたい。
(*1)鉄道ファンの文化のひとつで、実在しない鉄道路線や鉄道会社を頭の中で作り上げて楽しむ趣味のこと。
(*2)乗り換え駅として想定されていた井の頭線・明大前駅付近には、今も「第二山手線」が通る予定だった空間の遺構が残されている。当時発表された予定路線図はこちら。