東京タワーズ2014
■ライブ終了しました! ありがとうございました 2014.5.24(SAT)at 渋谷LASTWALTZ [ハロニュー・ハレはれナイトフェス] http://lastwaltz.info/date/2014/05/#24 東京タワーズ2013 ■ライブ終了しました! ありがとうございました ■ライブ終了しました! ありがとうございました 東京タワーズ2012 ■ライブ終了しました! ありがとうございました ■ライブ終了しました! ありがとうございました 東京タワーズ2010 2009.12.6(SUNDAY)at 池袋LIVE IN ROSA 電動のメリークリスマス FINAL 2DAYS! ■ライブ終了しました! ありがとうございました http://natalie.mu/news/show/id/20298 2009.10.9(FRIDAY)at 新宿LOFT DRIVE to 2010 鈴木慶一プロデュースDAY http://www.driveto2010.com/schedule.htm |
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tokyotowers...stereo in my heart... | |
東京タワーズ21th ライナーノーツ 140629原宿クロコダイル 「大江戸捜査網」 オープニングは、1983年当時の東京タワーズでも演奏されていた70年代テレビ東京時代劇のテーマ曲カバー。オリジナルの作曲者は「怪奇大作戦」と同じ玉木宏樹氏。今回は岸野の新しい解釈によりP-MODEL「HEAVEN」を思わせるアレンジになりました。 120820渋谷ラストワルツ 130420赤坂グラフィティ 「すげえ詐欺師だ」 あ らたなレパートリー。ひさびさに洋楽カバーを取り上げることになりました。キング・クリムゾンの70年代の作品「暗黒の世界」のオープニングを飾る「偉大 なる詐欺師」を日本語訳して歌っています。70年代の朝の子供番組「カリキュラマシーン」とのメドレーになっています。この後は下記と同じ曲目でした。 091009新宿ロフト、091206池袋ロサ、120522秋葉原グッドマン のセットリストです。 「すっとび野郎」 |
東京タワーズの歴史!!!! ・ 資料や過去のテープなどをあたって、ライブの細かい日付や演奏曲目については正確に判明したものは極力採録しましたが、わからない ところも多々ありました。記憶違いなどもあると思いますので、またご意見などもお寄せください。 | |
1982 ・ 加藤賢崇(Vo)と中嶋勇二(Dr)を中心に結成、活動を開始。 ・ 最初のライブをやる前の練習期間に、手塚真がスタジオ来訪。まだビデオカメラが普及してない時代に、雑誌ビックリハウスのイベントで流す用のCMをビデ オで撮影するという「実験的な」試みの素材にタワーズが選ばれる。内容はタワーズの演奏のヘタさに手塚と高橋章子編集長が「これはヒドい」とゴミ箱にゲロ を吐く、というもの。 7月25日 ナイロン100%「デビューライブ」 ・ このライブは中嶋の友人たちによりビデオ収録され、夏のSFファン大会の合宿で公開されたそうですが、メンバーは見ていません。 <演奏曲目>1・キャプテンウルトラ 2・恋のインタ−チェンジ 3・恋と涙の太陽 4・あの娘と僕 5・恋をするなら 6・チェッチェッチェッ 7・恋のメキシカンロック 8・仮面の忍者赤影 9・狼少年ケン 10・決定盤!これが東京タワ−ズだ! 10月3日 新宿ACB「すたじおぺんた・ライブコンテスト」 ・ 6バンド出場して、なぜか優勝し、賞品にフェンダー・ストラトをもらいました。富山茜(B)もベスト・ベーシスト賞に輝く。 <演奏曲目>1・ウルトラQのテーマ 2・キャプテンウルトラ 3・太陽野郎〜ワ−ルドボ−イ 4・星娘 5・恋のインタ−チェンジ 6・チェッチェッチェッ 7・西銀座五番街 8・ 恋をするなら 9・恋のメキシカンロック 10・狼少年ケン 11・トンバで行こう! ・ 何度かのメンバーチェンジを経て、清水俊之(G)伏黒信治(G)岸野雄一(Key)富山茜(B)中嶋ひろみ(cho/勇二の姉)福田有希(cho)を加 えた8人メンバーで固定。60年代歌謡曲やTVアニメのカバーを独自の解釈によるアレンジで演奏、廃盤ブームを先取りしたニューウエイブ・レトロ歌謡バン ドとして音楽関係者に高い評価を得る。 10月17日 ナイロン100%「橋・舟木・西郷・南海の大決闘」 ・ 賢崇20歳の誕生日記念ライブ。 <演奏曲目>1・東京タワ−(ゆき&ひろみ)2・太陽野郎〜ワ−ルドボ−イ 3・恋のインタ−チェンジ 4・チェッチェッチェッ (メンバ−紹介) 5・星娘 6・恋のメキシカンロック 7・恋をするなら 8・太陽にヤア! 9・西銀座五番街 10・決定盤!これが東京タワ−ズだ! 11・トンバで行こう! (アンコ−ル) 12・キャプテンウルトラ 13・狼少年ケン 11月3日 新宿ACB「東京フリークスvol.1」 ・ 近田春夫とビブラトーンズ(以下ビブラ)をメインに、コンクリーツ、遠藤賢司、S−KEN、サニー久保田とクリスタル・バカンス(以下クリバカ)東京ブ ラボー、有頂天、ポータブルロックなど13バンドが出演。タワーズは最初の出番です。ポスト・ニューウエーブの記念碑的なライブでした。ただしライブを仕 切っていた加納基成という太った男は、若い割(賢崇と同い年だから、当時20歳)にその尊大な態度が周囲から疎んじられていました。その押しの強さだけで 仕事を着々と広げ、後に手塚真の映画「星くず兄弟の伝説」のプロデュースに関わり、近田春夫さんのマネージャーまで努めますが、89年頃、ある日金を持ち 逃げしニューヨークへトンズラ、という話を聞くに及んで「ああ、やっぱし!」と思ったものです。加納はその頃、東京モダンボーイズというバンドをやって て、勝手にタワーズをライバル視していたのも憎らしかったですが、そこでドラムを担当していた岡田裕二は、後にタワーズの中島とバンドを作ったり、岸野の ライブに参加したりするようになります。女の子4人組の「世間」という妙な名前のバンドも出ていて、ここでギターを弾いていた子はここでケラと出会ったこ とで、後に劇団健康に参加。犬山犬子と名乗る女優となります。 <演奏曲目>1・東京タワーズ登場のテーマ 2・トンバで行こう! 3・太陽野郎〜ワ−ルドボ−イ 4・チェッチェッチェッ 5・恋のインタ−チェンジ 6・恋のメキシカンロック 7・恋のGT 8・恋をするなら 9・太陽にヤア! 10・西銀座五番街 11・狼少年ケン 11月22日 四谷フォーバレー ・ この日はクリバカに参加していた立川芳雄さんの仕切りライブで、クリバカとともに立川さんのリーダーバンドVOICEも出演。 <演奏曲目>1・恋のメキシカンロック 2・恋をするなら 3・太陽にヤア! 4・西銀座五番街 5・恋のGT 6・トンバで行こう! 11月27日 渋谷エッグマン「すたじおぺんた主催・へんたいバンド合戦」 ・ オールナイトライブ。後に「イカ天」のブレーンとして活躍するジャクソン井口仕切りのライブ。ジャクソンはラリー・カールトンのアテぶりの物真似をやっ て笑わせてました。なんといっても、この日は初めて見た爆風スランプの演奏のウマさに圧倒されました。しかも、これはまったくの偶然なのですが彼らは「東 京タワーをぶっとばせ!」という曲があったので、コレは東京タワーズの後で登場したらウケるでしょう。他に出たバンドは、東京お子様エレキ団てのと、あ と、おたっしゃくらぶというバンドがボーカリストのカラダに生卵をぶつけるというパフォーマンスをやってて、卵が後ろの爆風が使ってたベースアンプを直撃 し、爆風のベーシスト江川ほーじんが激怒して怒鳴り散らしていたのも思い出します。 ・ この日のケンソーのMC「今日はクロコダイルではバナナリアンズやチャンス・オペレーションをやってるみたいだけど、こっちのほうがいいよね? みんな!」 <演奏曲目>1・トンバで行こう! 2・恋のインタ−チェンジ 3・チェッチェッチェッ 4・西銀座五番街 5・太陽野郎〜ワ−ルドボ−イ 6・恋のメキシカンロック 7・恋をするなら 8・太陽にヤア! 9・恋のGT 10・狼少年ケン 12月29日 目黒鹿鳴館「ハルメンズの伝説」 ・ ハルメンズ解散コンサートの前座。クリバカも出てました。ハルメンズのゲストとして戸川純、野宮真貴、鈴木慶一。ライブ全体の司会も賢崇と岸野が行っ た。打ち上げで純ちゃんと上野さんが「三年目の浮気」を歌ったシーンは忘れられません。翌1月2日にもサエキさんの地元、本八幡で打ち上げをかねた新年会 が行われ、コレは30年たった今も毎年細々と続いています。 <演奏曲目>1「トンバで行こう!」2「恋のメキシカンロック」 12月30日 新宿ACB「東京フリークスvol.2」 ・ クリバカ、東京ブラボー、ビブラ、タワーズ、有頂天、世間、の他、タンゴヨーロッパ、鈴木賢司などが出演。 |
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1983 1月 新宿LOFT ・ 後にタイツを結成する一色進さんが当時やってたナイジェルというバンドがメインのイベント。初めてのロフトはすごく楽屋が汚かったことがショックでした。 1月15日 目黒鹿鳴館「東京フリークスvol.3」 ・ クリバカ、東京ブラボー、ビブラ、タワーズ、有頂天、世間、の他、カトゥラトゥラーナや、トリにスクーターズも出演していましたが、前のバンドで時間が 押しすぎて曲数を詰められたため、客席で見ていた高護さん(後にSFC音楽出版社長)が激怒して大声で怒鳴り、鹿鳴館のオーナーに詰め寄る場面も。この日 は成人式で、新成人を迎えた賢崇や岸野や伏黒やケラにとってもハタチの記念でした。青年の主張のようなMCもやった。この後も「東京フリークス」は何回か 行われるのですが、タワーズは加納ギライなため、スタッフ的にウラを手伝ったりするだけで、ライブには出ませんでした。「東京フリークス」最大の功績は、 おピンク兄弟というユニットを生み、それが後にPINKになったことか。 ・ このあとタワーズは、ライブをやり過ぎて練習時間が取れずレパートリーが増えない悩みがつのり、気持ちがマンネリ化。しばらく特訓期間を設けることに。近田さんからビブラのエッグマンでのライブの前座を打診されたのに、生意気にも丁重にお断りしたりする。 ・ 岸野のアイデアで選曲を一新。60s歌謡曲に加え、ペレス・プラードのラテン名曲に歌詞をつけて歌うことに。これはパラダイス山元さんたちが東京パノラ ママンボボーイズを始めるより、少し早いタイミングであったと思います。そんなことで先を競ってもしょうがないんですが。 5月7日 目黒鹿鳴館「5月の青い空」 ・ ライダーズ事務所仕切りの2日連続のイベントの初日。対バンはクリバカ、そして戸川純&ヤプーズのデビューライブでした。コレも博文さんがビデオ撮ってたような気がする。 <演奏曲目>1「カネゴンの繭」2「ラ・ラスパ」3「タムレNO.1」4「愛してタムレ」5「パチャンガ野郎」6「恋のチュンガ」7「アロロコ」8「すっとび野郎」9「リズムにかけろ」10「コセコセコセ」 7月3日 ナイロン100%「東京タワーズのロック百物語」 8月 ナイロン100%「昼下がりのペロリ」 ・ ケンソーが田舎に帰っている間、残りの7人で敢行されたライブ。対バンはメジャーデビュー前のパール兄弟、ベース中原信雄、ドラム浜田康史という最初期の編成。 8月 ツバキハウス(沼田元気) ・ ケンソー抜きのまま、その頃、川勝さんの紹介で沼田元気さんに出会い、沼田さんの「盆栽小僧パフォーマンス」とジョイントした新・東京タワーズとしてのライブ。コーラスに参加した「すみちゃん」という女性は後に「月の夜ロヲザ」を名乗るパフォーマーとなりました。 <演奏曲目>1「大江戸捜査網」2「盆栽小僧」3「ロカビリー心中」4「ラ・ラスパ」 9月 新宿アルタ(沼田元気)「手塚真の東京スペシャル」 ・ ぴあ主催のイベント。手塚真の16ミリ映画完成記念。故・中川勝彦主演。賢崇は司会として手塚をサポートした。映画にも出ていたS-KENと、「星くず〜」が制作へ向かってた近田さんがトークのゲスト。クリバカと東京ブラボーも出てます。 <演奏曲目>1「大江戸捜査網」2「盆栽小僧」3「ロカビリー心中」4「クリフ(・リチャードのテーマ)」5「パチャンガ野郎」6「サボテン娘」7「ロカビリー道中」8「カネゴンの繭」9「ラ・ラスパ」 ・ 沼田さんとのジョイントは2回だけで終わり、再びケンソーが復帰しますが、意見の衝突もあり、いまいちしっくりきません。この時期から翌年にかけて「魚 が出てきた日」「チコと鮫」「エクソシスト2」といったシブめの映画音楽や、スパークスのカバー曲のいくつかなどを執拗にスタジオ練習しましたが、ライブ をやるには至りませんでした。 |
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1984 ・ 富山、中嶋(姉)、福田、の女性メンバーの脱退にともない、賢崇(B)、伏黒(key)にチェンジ。男5人によるテクノ歌謡バンドに変身を計る。賢崇がバンド結成当初から理想としていた「DEVOのようなニューウエイブバンド」へ近づくことに。 7月 目黒鹿鳴館「ナゴムレコードの黄金時代」 ・ まだビデオデッキも普及してない時代にナゴムからビデオリリースもされた。有頂天、グレイトリッチーズほか7バンドが出演している。東京タワーズはまん 中へんの出番で、ラテンバンドからテクノバンドへ変身する過渡期の演奏で、全員座ったままのアンプラグド・ライブになってしまった。 <演奏曲目>1・こむそでどーも 2・ファーブルの森 3・うたごえはひびく(ビデオには未収録) 10月 クロコダイルのライブ。 ・ タイツの前座として。このときは全員がピンクのツナギを着てステージに立ち、振り付けもピッタリ合わせて、全曲オリジナルナンバーでコンパクトなテクノ ポップを演奏するというコンセプトが結実した。歌詞は岸野の中学時代からの同級生、坂本勝の詩集から岸野と賢崇がエディットした。曲は伏黒と清水が大半を 書いている。 <演奏曲目>1・そのとき街のように 2・踊る視線 3・影食う虫 4・亀の子指ダンス 6・ファーブルの森 7・膳立人形 8・こむそでどーも 9・バーゲン 10・うたごえはひびく(アンコール「バーゲン」) 11月4日 武蔵野美術大学「アポロを探せ!」 ・ 対バンはパール兄弟、リアルフィッシュ、ヴァリエテ。ライブ全体の司会も賢崇が行った。 <演奏曲目>1・そのとき街のように 2・踊る視線 3・影食う虫 4・亀の子指ダンス 5・アポロを探せ・愛のテーマ 6・ファーブルの森 7・膳立人形 8・こむそでどーも 9・バーゲン 10・うたごえはひびく ・ ここでの演奏が前回のライブで仕上げたコンセプトがほぼ完成を見た、という達成感があったためか、これまでコンセプトメーカーであった岸野が脱退し、船 越みどり、松前公高、常盤響とコンスタンス・タワーズ(以下コンス)を結成する。コンスは当初、打ち込みインストグループだった(このメンバー編成は後に スペースポンチとなる)が、後にバンドスタイルで岸野がボーカルを取るようになった。コレはかつて初期のロキシー・ミュージックでも、口ばかり出して楽器 を弾かないブライアン・イーノに対して、ブライアン・フェリイが「ノン・ミュージシャンは2人いらない」と首切りを宣告。脱退したイーノが801バンドを 結成して、まるでフェリイのように自分が歌うステージを展開した流れに酷似しているといえよう。すごいスケールは小さいですが。 ・ せっかくバンドのスタイルができあがったというのに、それぞれのメンバーも自身のリーダーバンドを作ってしばらく活動しようということで、東京タワーズは、また85年から活動休止することとなった。こんなことだからメジャーデビューなんてできません。 1985 ・ この頃からタワーズ周辺にいる仲間たちが集まり京浜兄弟社を名乗るようになります。京浜はナイロン100%にたむろし、ナイロンがツブレると、今度は渋谷CSVを根城にしました。 ・ 当時、東京タワーズは有頂天のケラとインディーズ・レーベル「ナゴムレコード」の立ち上げにかかわっていたが結局何も手伝えないままであった。85年5 月に賢崇のソロ・カセットブックをナゴムで出す、ということで「3Dサウンドシアター」を50部だけ作りますが、コレはケラの手に渡る前にライブで全部売 れてしまいました。 1986 ・ 一時期、岸野を含む5人に加え、山口優(ex.EXPO)を加えた6人での東京タワーズ再編を目論んでスタジオに入り「100発100中」などのナンバーを練習しますが、これも長続きしませんでした。 |
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1987 夏、 賢崇のソロ・ソノシートブック「COMPLETEいぬちゃん」をナゴムからリリースするため「いぬちゃんのうた」の録音をきっかけに、伏黒(B)として岸 野を除く4人で東京タワーズは2年ぶりに活動を始める。「いぬちゃんのうた」はベンチャーズの「クルーエルシー」という曲に歌詞を乗せ、ハードコアにアレ ンジし直したもの。当時のスケボーブーム、サーフロック・リバイバルにヘビメタ復活ムードの中、スラッシュメタル歌謡バンドとして再出発するのは必然であ るように思えた。衣装もデカTシャツに短パンなど、スケーターっぽいファッションになる。 ・ その1年後、88年10月にリリースした「MORE COMPLETEいぬちゃん」にはベンチャーズ「パイプライン」に歌詞を乗せた「スケボーくんのうた」も収録。他にも「君とぼくの太陽」(ワイプアウト) 「インディアンのうた」(アパッチ)「鋼鉄の悪魔」(ペネトレイション)「おせっかいはやめよう」(ドライヴィング・ギター)など、ベンチャーズをネタに 6曲くらい作りました。 10月28日 新宿ロフト「ナゴムナイト・14夜」 ・ 空手バカボンの前座として出演しますが、賢崇ソロということで、清水、山口優、皆川等(ex.the Sun)というメンバーで、DEVOのコピーバンドをやる。対バンは他に木魚、クララサーカス。 11月8日 CSV渋谷 ・ この日のライブは夕方でしたが、仕事帰りの竹中直人さん、中村ゆうじさん、佐野史郎さんが見に来てくださり、豪華な客席でしたよ。CSVに関しては「80sディスクガイド」(リブロポート社)で伊藤英嗣さんが書いてますが、またどなたかが詳しく書くでしょう。 <演奏曲目>1「鋼鉄の悪魔」2「君とぼくの太陽」3「おせっかいはやめよう」4「いぬちゃんのうた」5「スケボーくんのうた」6「トーイ・イン・ジ・アティック」(エアロスミスのカバー) 12月12日 法政大学学館ホール「続・アポロを探せ!」 ・ 2日連続ライブの2日目に出演。京浜兄弟社オールスター(クララサーカス、もすけさん、シジジーズ、倉地久美夫など)の他、グランドファーザーズ、初期のオリジナルラブ、あけぼの印、なども出演していました。 12月31日 渋谷ライブイン「ケラコール」 ・ ケラがプロデュースした3日連続の様々なバンドが出るイベントの最終日に東京タワーズという名義で2年ぶりのライブ。(この前2回ぶんはいちおう賢崇ソロという名義でした)この日は有頂天やコレクターズとか出てました。 <演奏曲目>1「君とぼくの太陽」2「いぬちゃんのうた」3「スケボーくんのうた」4「スクリーミング・フォー・バンゲンス」(ジュータス・プリーストのカバー) 1988 2月17日 クロコダイル ・ 対バンはもすけさん、たなべありす、など。 6月17日 六本木インクスティック ・この日の対バンは伊藤ヨタロヲ&田口トモロヲのスペシャルユニット、ブルーベルベッツ。10時と1時の2ステージでオールナイトでした。ゲストは大川興業で、最後は賢崇と総裁の掛け合いが延々と続いた。 ・ この頃から、ライブも増えたので、カバー以外にも急きょスタジオで勢いにまかせたロックぽいオリジナル新曲をどんどん作る。でも最後はやはりいつも「いぬちゃんのうた」でシメです。 8月11日 六本木インクスティック ・ 対バンはタイツ。 9月15日 池袋文芸座ルピリエ「ぼはなん音楽祭」 ・ 毎年年末に行われていた手塚真主催のインディーズフィルムの「ぼはなん映画祭」の音楽版ということで、京浜兄弟社オールスター(クララサーカス、もすけさん、シジジーズ、倉地久美夫など)の他、ECD、人生などが参加。タワーズはトリを努める。 <演奏曲目>1「クリフ〜君とぼくの太陽」2「いぬちゃんのうた」3「スケボーくんのうた」 ラストに出演者全員で「六本木心中」をタワーズ+EXPOの演奏で合唱しました。 10月24日 六本木インクスティック「テクノポップ10周年大感謝祭」 ・ 賢崇仕切りによる、2日連続ライブの2日目。テクノということで84年時のレパートリーを演奏。岸野の替わりに、サポート・キーボードに後藤浩明を迎え た。全員DEVOの「生存学未来編」のロゴがついたシャツに、工事用マスクをつけての演奏。対バンは人生。人生もDEVOのカバー(「狂気の衝動」と「ス ラップ・ユア・マミー」)をやってましたよ。23日はEXPOとリーマンズ。DJは賢崇と岸野とECDがやりました。22日にはサエキさんとのイベント 「ハレはれナイトVOL.1」もあり、賢崇は3連投でした。 <演奏曲目>1「そのとき街のように」2「亀の子指ダンス」3「バーゲン」4「ジャーキン・バックン・フォース」(DEVOのカバー) 12月10日 六本木インクスティック「UFC音楽出版パーティ」 ・ 招待客のみの忘年会的なライブ。この時期からオリジナル新曲中心のさらにロックぽいメニューで西海岸風ハードロック歌謡バンドになります。そのロック感 覚てのも、当時マッスルビートで久保田真吾がボン・ジョヴィやガンズ&ローゼスに影響を受けたステージを展開していたのに触発されたのが大きかったでしょ う。しかし次々と作ってはタイトルもハッキリしないまま、すぐボツにする曲も多かったです。最後はやはりいつも「いぬちゃんのうた」でシメです。 12月17日 六本木インクスティック「京浜兄弟社プレゼンツ・新アポロをさがせ!」 ・ 対バンはクララサーカス、もすけさん、など。 12月24日 渋谷エッグマン ・ メトロファルス、タイツ、ばちかぶり、遠藤賢司、玉城宏志、などが出演のオールナイトイベント。タワーズは最初の出番でした。クリスマスライブというこ とで、持ち回りで一色さんやヨタロヲさんや賢崇がサンタの扮装でMCをやりました。山本恭治と窪田晴男によるデヴィッド・ボウイのコピーバンドってのもあ りました。 12月31日 六本木インクスティック「大晦日オールナイトパーティ」 ・ 他の出演はやはりマッスルビートなど。 1989 1月10日 原宿クロコダイル ・ マッスルビートの前座としてのステージの予定でしたが、中嶋が急きょ欠席となったため、賢崇のトークでごまかす。 1月17日 渋谷シードホール「キンギン・パール兄弟プレゼンツ」 <演奏曲目>1「君とぼくの太陽」2「いぬちゃんのうた」3「スケボーくんのうた」 ・ この日も中嶋欠席のため、急きょドラムを泉水敏郎さんに代打をお願いする。コレはパール兄弟をメインに、サエキさんの企画で12日〜17日まで連続で様 々なバンドが登場するイベント(賢崇は連日司会も努めていた)の最終日。この日の対バンは小田原豊(ex.レベッカ)のバンド。 2月23日 原宿クロコダイル ・ この日もマッスルビートの前座としてのステージ。中嶋欠席の予定で、ドラムを松本正(ex.ハボハマニア、echo-u nite)にお願いする。が、当日になって中嶋が間に合ったため、ラスト2曲のみ中嶋が加わることに。 ・ しかし、この時期カバーもの以外で演奏していたオリジナル曲は清水を中心にスタジオでセッションぽく作ったモノで、やや泥臭いアレンジに傾きがち、賢崇 の書いた歌詞も中途半端なロック調歌謡曲で、わかりやすさを強調するあまり幼稚にも聞こえる内容が多く、メンバー間でも曲に対する思い入れが薄れがちにな り、84年頃の曲を復活させたくなってきました。やはり根がニューウエイブだったのか。 ・ 11月、サエキけんぞうプロデュースのオムニバス・アルバム「ハレはれナイト」(ソリッドレコード)に東京タワ−ズも1曲参加。コレは84年時のレパートリーから「バーゲン」を選んだ。サエキと賢崇のデュエットも2曲入っている。 11月 インクスティック芝浦「ハレはれナイト・スペシャル」 ・ ハイポジ、きどりっこ、ミンカパノピカ、などオムニバスに参加したアーティストが勢ぞろい。しかし客席に、ちょうどイカ天を勝ち抜いてる最中で話題に なってたときの、たまが見に来てたこと、アンコ−ルで乱入した冴島奈緒が脱いでたこと、の印象が強い。タワーズは再び後藤浩明をサポートキーボードに迎え ての演奏。 <演奏曲目>1・亀の子指ダンス 2・バーゲン ・ その後は中嶋が、タイツに泉水の代打として参加したり、家来、キング&カントリーといった他のバンドでの活動を始め、賢崇のタレント業、清水の放送作家業などがそれぞれ忙しくなり、また東京タワーズはしばらく活動休止となる。 |
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1990 ・ 賢崇は、砂原良徳(ex.電気グルーヴ、O-TISM)や中村滋(ex.B-2 DEPT、Yセツ王)、佐藤キミトシ、金井覚らとDEVOのコピーバンドTEPOを組み、原宿クロコダイルで電気グルーヴなどとライブをやる。 1991 ・ 賢崇のソロアルバムとして京浜兄弟社プロデュ−スで「若さ、ひとりじめ」(ソリッドレコード) をリリースすることになる。このアルバムの楽曲は半分が84年時のタワーズのレパートリーをアレンジし直したもの。当時は賢崇がタレントとして知名度があ がっていたので、あえてソロとしたが、バンドでレコーディングしてもよかったかも、と今にして思う。だが時代は打ち込みに向かっていて、今さらバンドもな あ、という気分であった。 <曲目>1「オーバチュア〜その時、街のように II」2「グッド・タイミング・ザ・ワールド・オブ・ラブ・ソング」3「河童天国」4「亀の小指ダンス」5「ファーブルの森」6「バーゲン(2001 Version)」7「宇宙フーテン旅行」8「100発100中」9「その時、街のように I」10「いぬちゃんのうた」 ・ 91年8月31日 渋谷クアトロ「ハレはれナイト」ケンソースペシャル「若さ、ひとりじめ」 というライブもあった。ゲストは、森若香織(GO-BAN'S)ECD、AKI、もすけさん。 ・ この年から92年にかけて、賢崇は京浜兄弟社ライブツアーのゲストとして「若さ〜」の曲をカラオケで歌う。 |
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1993 ・ 賢崇がパーソナリティを努めていたFMラジオ番組「トロイの木馬」から、賢崇プロデュースでオムニバス・アルバムとして「トロイの木馬」がリリースされ ることになり、東京タワーズも新曲でレコーディング参加することにして活動再開。コレに収録した「愛の浄化水」は、また84年頃のように坂本勝詩集からの チョイス。楽曲は当時、ジ・オーブがYMO再生ライブの前座に来日して評判を呼んでいた頃で、アンビエントテクノに傾倒していた伏黒の作ったオケに賢崇が 演歌風のボーカルを乗せることとなった。清水と中嶋はレコーディングには不参加。実質的には山口優と永田一直が取り仕切った形。 5月18日 西麻布イエロー「テクノポップカンファレンス93」 <演奏曲目>1「愛の浄化水」2「しかしながらの今日」3「心の時〜終止符のかさねがさね」 ・ オムニバス・アルバム「トロイの木馬」発売記念イベント。東京タワーズはさらに清水のギターをフィーチャーした新曲に坂本勝の歌詞をつけたモノを2曲追 加し、4年ぶりに4人組でグランジ・トランス歌謡バンドとして出演。全員お揃いのX-large製ブルース・リーのTシャツに、セガが出してたゴーグルと 光線銃のセットを身に付けての近未来的ステージでした。他の出演者はオーガニゼーション、B-2 DEPT、クリックスリップ、パラペッツ、松前公高、サエキけんぞう、ことぶき光、ケラ、巻上公一、ピコリン、AKIなど。(大阪サンホールでも関西地区 の参加バンドの出演で行われた。) ・ conferenceはカタカナでは、最近コンファレンスと書かれるようになりましたが、この頃はカンファレンスと書かれることが多かったのです。 6月3日 インクスティック鈴江ファクトリーのライブ。 <演奏曲目>1「そのとき街のように」2「グッド・タイミング・ザ・ワールド・オブ・ラブ・ソング」3「河童天国」 4「愛の浄化水」5「しかしながらの今日」6「心の時〜終止符のかさねがさね」7「ベティとチャーリー」(スパークスのカバー) ・ 前回演奏のナンバーを後半に、前半は「若さ、ひとりじめ」の曲をバンドアレンジで追加。練習もじゅうぶんで張り切っていたが、しかしイエローは大イベン トで250人の観客を集めたのに、一月後のライブではわずか20数人の客入り。コレではやってられないと、また活動休止。 |
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・ 94年5月、清水は突然、それまでの放送作家業を捨て「寺に入る」と宣言。周囲の友人達にギターを預け、以後、現在に至るまで僧侶としての修業をしている。(別冊宝島218号「お坊さんといっしょ」にこのへんの事情が詳しく書かれています) ・ 93年9月から年1回で3回ほど、賢崇はP-MODELのコピーバンド大会の司会と仕切りをやりました。そのイベントのラストではP-MODELのメン バーが普段と違うパート(平沢進さんがドラムとか)に立ち、賢崇がボーカルをとってP-MODELの曲を演奏するという試みがなされ、そのバンドは亀有タ ワーズと名付けていました。 1996 ・ 3月、賢崇と親交の深いゲームデザイナーの斉藤由多加氏から、パソコン&TVゲ−ム「タワ−」のイメ−ジ・アルバムCD「サウンド・オブ・タワ−」(東 芝EMI)に参加しないか、という話があり、せっかくタワーなんだから東京タワ−ズ名義にしようということで、「タワ−・オブ・ラブ」という曲を作る。伏 黒の作ったラウンジ版「スペースオディティ」のような曲調に、賢崇のウイスパー&ビートニック歌謡といった雰囲気のブツブツつぶやくボーカル。これも実際 のレコーディングは山口優がすべて仕切っていた。CDの他の参加アーティストはブロンソンズや戸川京子など。 5月25日 渋谷アップリンクファクトリー「ナイロン100%ナイト」 ・ 82年10月17日のナイロンでの東京タワーズのライブテープをエディットしたものをオケがわりにして賢崇が歌った。 ・ この頃から、岸野はソロ・ライブ「ヒゲの未亡人」を年数回行うようになり、そのたびごと賢崇もゲストとしてカラオケで「若さ〜」からのナンバーを歌っていた。 1998 2月14日 マニュエラカフェ「東京タワーズナイト」 ・ スクリーンに過去のライブビデオを流しながら、中嶋、伏黒、賢崇の3人がDJを努めた。 |
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1999 10月10日 青山OJAS「DRIVE to2000・前夜祭」 ・ 東京タワーズという名前での6年ぶりの活動開始。賢崇と岸野の2人によるユニットということになる。この日の対バンはデッドコピー、ソワレ、ジェリイ フィッシュほか。2週間後の新宿ロフトのリハーサルを兼ねたようなステージ。おそろいの黒タートルネックのシャツ。ライブよりも、後のサエキさんたちとの トークショーで疲れました〜。 <演奏曲目>1「百発百中」2「河童天国」3「ウイ・ウイル・ロック・ユー」4「恋のメキシカンロック」 10月28日 新宿ロフト「DRIVE to2000・4日目」 ・ この日の対バンはオートモッド、ロリータ18号、#9、さかな、発作モンキーズ、ディフェランス(北村昌士) など。 ・ 賢崇と岸野の2人だけのステージ。 <演奏曲目>1「ウイ・ウイル・ロック・ユー」2「レッツゴーブガルー」3「エクソシスト2 パズズ〜悪魔のテーマ」4「ノストラダムスの大予言」5「いぬちゃんのうた」 DRIVE TO 2000では他の日もDJやトークショーなどにも出演。京浜兄弟社の歴史を語るビデオライブなどもあった。 11月3日 京都メトロ「DRIVE to2000・関西」 ・ この日の対バンはヒカシュー、大槻ケンヂ、ロリータ18号、ECD、スカイフィッシャー、サエキけんぞうなど。岸野はスペースポンチとしても出演。DJは常盤響。 ・ 賢崇と岸野の2人だけのステージ。 <演奏曲目>1「ウイ・ウイル・ロック・ユー」2「レッツゴーブガルー」3「エクソシスト2 パズズ〜悪魔のテーマ」4「ノストラダムスの大予言」5「いぬちゃんのうた」 ・ 21世紀になり、岸野はヒゲの未亡人と並行して、バンド活動を活発に行う。そのリーダーバンド名はコンスタンスタワーズ〜フォルティタワーズ〜ワッツタ ワーズ、と変化しているが、すべてタワーズつながりでそれぞれに別の意味を含んだ名前となっている。しかし実績、動員数などで、すでに東京タワーズが残し たものを上回っているともいえる。 ・ 賢崇はときたまイベントなどの司会をつとめながら、ソロで「若さひとりじめ」のナンバーを歌っていた。 |
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2005 12月6日 池袋ライブインロサ「電動のメリークリスマスFINAL」 2012 2012 2013 12月14日 新宿LOFT「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー/生誕50周年・ナゴムレコード30周年&新生記念・新宿ロフト4days・3日目」 2014 6月29日 原宿クロコダイル「馬鹿が戦車にまた乗った!」 |
東京タワーズとは? ・ 東京タワーズが結成されたのは1982年ですが、当時のライブハウス&インディーズシーンの中でやはり、東京ロッカーズの流れ、そして高 木完ちゃんが東京ブラボーで活動し始めたことで、東京○○みたいな名前をつけたバンドが流行ってたのです。遠藤賢司さんのアルバム「東京ワッショイ」や、 ジューシイフルーツの沖山優司さんのソロシングル「東京キケン野郎」が評判を呼んだ時期でもありました。「うん、コレはぼくらもなんか東京○○なバンドを やらなきゃ」と思ったワケでしたが、それとは別にそもそも東京タワーズというのは、古いプロレスファンなら知らない者のない、由緒ただしい名前なのです。 ・ 1971年、日本プロレスはジャイアント馬場・アントニオ猪木の2大エース時代でしたが、猪木が脱退して新日本プロレスを結成したため、馬場は代わりの パートナーとして、元柔道日本一の坂口征司(俳優・坂口健二のオヤジ)を抜擢しました。このとき長身2人のタッグチームをマスコミが東京タワーズと名付け たのです。世界に誇る東洋の巨塔。後に馬場も日本プロレスを脱退して全日本プロレスを結成。ここで馬場は新しいパートナー、ジャンボ鶴田と新東京タワーズ を組んだりしましたが、この呼び方は長続きしませんでした。その後坂口も日本プロレスを解散させ、猪木の新日本プロレスに参加しましたが、この2人のチー ムはタワーズとは呼ばれませんでしたけど。 ・ まあ、当時のニューウエイブ・ファンには意外とプロレス好きがいなかったので、誰も気づいてくれませんでしたが。 ・ そんな事情を抜きにしても、東京タワーズという名前をつけるのにはいくつも必然性があったのです。まず、当時の東京ニューウエイブシーンは最初の60s リバイバルとも連動した要素があったこと。60年代歌謡曲、ベンチャーズ、ラテンなどのサウンドが見直されていた時期でした。そこで東京で一番の名所、東 京タワーという昭和33年にできた物件の、その完成当時の60年代初頭のムードをそのまま永久に冷凍保存させてるレトロフューチャーなイメージが、ぼくた ちのやろうとしていた音にぴったりキテたのではないか。 ・ あと、始めたばかりのバンドではオリジナル曲をつくるほどの演奏技術もないし、もともとカバー曲を中心に取り上げるバンドとしてやっていきたい気持ちだっ たので、東京タワーもしょせんはパリのエッフェル塔のカバーバージョンというかイミテーションだろ! と突っ込みたい感じも、バンドの姿勢にしっくり来て たのです。まあ60s歌謡曲も洋楽のカバーやパクリが多いし、日本的なフェイク文化の象徴でもありますよね。東京タワーって。 ・ 結成時、他にもたくさんバンド名の候補はあったのですが、そのリストから「やっぱ東京タワーズがいいでしょう」とサジェスチョンをいただいたのは川勝正幸さんでした。 ・ ちなみに「ぴあ」などを見てるとたまに、ぼくらの知らないところでも「東京タワーズ」を名乗るバンドが数年に一度は必ず現れています。こちらも引用しただ けだから文句も言えないのですが、他のタワーズがメジャーになったらハズかしいなあ、と思いましたが、今のとこそういう例もないようで、ホッとしました。 ・ 東京タワーズのメンバーであった岸野雄一は後に、自分のユニット、コンスタンス・タワーズを結成しますが、コレはかつてジョン・フォード映画の脇役など でも活躍したハリウッド・スター女優の名前から取られたもの。タワーズは塔の複数形である名詞だけでなく、実は人名の名字にも多いのです。映画プロデュー サーでハリー・アラン・タワーズという人物もいましたね。タワーズつながりでも、全然関係ないアイテムを持ってくる岸野のアイデアの妙もたいしたもので す。 ・ んまあ、そういうワケで他の東京○○なバンドの中でも、特に含蓄のあるネーミングなのだ、と誇りたい気持ち、わかっていただけましたでしょうか? |